百科事典マイペディア 「満蒙開拓青少年義勇軍」の意味・わかりやすい解説
満蒙開拓青少年義勇軍【まんもうかいたくせいしょうねんぎゆうぐん】
→関連項目加藤完治
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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昭和10年代に国策として満州に送られた若年農業移民の通称。1938年(昭和13)政府は満州国支配の安定化をねらい,農山村の次・三男を武装移民として送り出す制度を創設。加入資格は満14~19歳の青年だったが,彼らに与えられた土地の多くは現地農民から収奪した土地であり,たびたび民族紛争をひきおこした。第2次大戦終結前後には同義勇軍から多数の戦死者がでた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…欧米に出張の後,石黒忠篤らのすすめで26年茨城県友部町に日本国民高等学校を創立,校長となり,超国家主義者筧克彦の古神道による農本主義思想を教育した。満州事変勃発後の32年からは中国侵略に伴う満蒙開拓の移民に力を注ぎ,38年満蒙開拓青少年義勇軍発足とともにその中央訓練所(同県東茨城郡内原町)の所長を兼ね,約22万人を派遣した。戦後は追放解除後,46年に福島県に入植,白河報徳開拓農協組合長となり,辞職後日本高等国民学校(日本国民高等学校を改称)の校長に復帰した。…
…とくに日中戦争期には,一つの村の人口を組織的に分割し,1戸当りの耕地を増大させて母村の更生を図る分村移民制度が強力に奨励された。しかし戦時体制への移行は多方面に労働力を必要として成人移民を困難にしたため,数え年16~19歳の少年による満蒙開拓青少年義勇軍の送出が行われ,戦争末期にはこれが移民の主力となった。さらに転廃業で職を失った都市商工業者などの帰農移民も見られた。…
※「満蒙開拓青少年義勇軍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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