奈良時代の官人、僧。生没年、系譜ともに未詳。俗名は笠(かさ)朝臣(のあそみ)麻呂(まろ)。704年(慶雲1)従(じゅ)五位下、706年7月美濃守(みののかみ)となり、716年(霊亀2)には尾張(おわり)守を兼ねた。国守としての政績もよく、田などを賜っている。717年(養老1)従四位上、720年10月右大弁となったが、721年5月元明(げんめい)太上天皇の不予に際し出家を願って許された。723年観世音寺(かんぜおんじ)の建立を命ぜられて筑紫(つくし)に下り、天平(てんぴょう)初年に大宰帥(だざいのそつ)となった大伴旅人(おおとものたびと)とも交わった。『万葉集』に七首の歌がある。軽妙洒脱(しゃだつ)な歌もみられるが「世の中を何にたとへむ朝びらき漕(こ)ぎいにし船の跡なきごとし」は、仏教的無常観を詠んだ作として有名。
[稲岡耕二]
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...