日本大百科全書(ニッポニカ) 「水左記」の意味・わかりやすい解説
水左記
すいさき
平安中期の公卿(くぎょう)の日記。筆者は源俊房(としふさ)(1035―1121)。「源」の偏と左大臣の「左」からこの称がある。父師房(もろふさ)以来の家号土御門(つちみかど)から『土記』『土左記』、また彼の邸宅の場所により『堀河左府記』ともいう。内容の記事は1062年(康平5)より1086年(応徳3)にわたるが、そのほか1107~08年(嘉承2~天仁1)などの逸文が部類記のなかに収録されている。俊房は村上(むらかみ)天皇の曽孫(そうそん)で、学問に造詣(ぞうけい)深く、朝廷の儀式・政務に詳しく、本書には先例がよく引かれているため、当時の有職故実(ゆうそくこじつ)の面を知るうえにも貴重な日記である。宮内庁書陵部の康平(こうへい)七年(1064)記2巻、承暦(じょうりゃく)四年(1080)記2巻、永保(えいほう)元年(1081)春夏記1巻、尊経閣文庫の承暦元年(1077)秋冬記1巻、永保元年秋冬記1巻の計7巻は、具注暦(ぐちゅうれき)に書かれた自筆原本である。『増補史料大成』に収めるほか、宮内庁書陵部複製の康平七年記2巻(1954、55刊)がある。
[山中 裕]