源雅賢(読み)みなもとのまさかた

朝日日本歴史人物事典 「源雅賢」の解説

源雅賢

没年:建久3.9(1192)
生年:久安4(1148)
平安末から鎌倉初期の公家,楽人。郢曲源家の嫡流で,源通家と皇嘉門院(賀陽門院とも)雑仕真木屋の子。父の早世により祖父資賢の子となる。永暦1(1160)年叙爵,上総守などを経て嘉応2(1170)年右少将,養和2(1182)年資賢が権大納言を辞すのとひきかえに右近中将,元暦2(1185)年蔵人頭,文治3(1187)年従三位。この間三度の解官と境外追放を体験。後白河法皇に「(家)重代なり,沙汰に及ばず」と今様について太鼓判を押された(『梁塵秘抄口伝集』)雅賢は,承安4(1174)年の今様合で勝ちを収めるが,負けた泰通でさえ「優美」と評された(『吉記』)。建久3(1192)年持病に法皇の死が重なり出家,死去

(小川寿子)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源雅賢」の解説

源雅賢 みなもとの-まさかた

1148-1192 平安後期-鎌倉時代公卿(くぎょう)。
久安4年生まれ。源通家の子。母は皇嘉門院の雑仕(ぞうし),真木屋。源資賢(すけかた)の孫。文治(ぶんじ)元年参議,3年従三位にすすむ。宇多源氏の楽家の伝統をつぎ,催馬楽(さいばら),今様,笙(しょう),和琴(わごん)にすぐれていた。建久3年9月死去。45歳。

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