滝脇村
たきわきむら
巴川の支流郡界川沿いの北側にあり、郡界川からさらに支流の滝脇川が合流する地点でもある。林添―七売―滝脇を経て日影(現岡崎市)を結ぶ七売道と、九久平―大給本郷―七売―滝脇―長沢を結ぶ小川道が通る。字藤治洞の本詣山護法院専光寺蔵証如下付の方便法身画像裏書に「天文八年己亥六月五日 勝鬘寺門徒参河国賀茂郡 足助庄外下山内滝脇郷」と記し、滝脇郷の名がみえる。
慶長六年(一六〇一)松平乗次が旧領滝脇村や額田郡内で六〇〇石を知行し、当村に陣屋を構えて滝脇・大沼・遊平・鍋田・曲・羽明・川向の一部計七ヵ村四六八石余を支配して明治に至る。
滝脇村
たきわきむら
[現在地名]真野町滝脇
北東から東にかけて渋手村、南西は背合村。小木街道沿いの越の長浜の海岸の一部にあたり、集落は海岸段丘上にある。鎮守塩釜神社は現在台地上にあるが、かつては海辺にあったと伝え、古くは製塩を行っていたと思われる。元和三年(一六一七)の屋敷検地帳に「竹脇村」とあり、寛文一二年(一六七二)の文書には「滝の脇村」とあるという(以上「真野村誌」)。元禄七年(一六九四)の検地帳(滝脇区有)では田八町四反余・畑八町七反余。
滝脇村
たきのわきむら
[現在地名]八尾町滝脇
小原村の南方、久婦須川左岸にある。天正一一年(一五八三)八月二〇日の知行方目録(土佐国蠧簡集残篇)に「黒瀬内(中略)滝之わき」とみえる。正保郷帳に村名がみえるが、村高などは掛畑村などと合せて記される。元禄一一年(一六九八)の郷村高辻帳では桐谷村の川を隔てて一二町ほど北西にある枝村新田としてみえ、高二九石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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