漆島村(読み)うるしじまむら

日本歴史地名大系 「漆島村」の解説

漆島村
うるしじまむら

[現在地名]高柳町漆島

高尾たかお村・岡野町おかのまち村の南、東はとちはら村、南は荻野島おぎのしま村、西は黒姫くろひめ山。集落は鯖石さばいし川左岸にある。文明三年(一四七一)一二月二七日の越後守護上杉氏奉行人奉書(毛利安田氏文書)に、毛利房朝を破った安田毛利重広(越中守)は「高柳之内宮田」などを領有している。「宮田」は集落西の字宮田みやたであろう。元和二年(一六一六)から同四年に長峰藩牧野忠成に属した時を除いて高田藩に属し、以後幕府領・白河藩桑名藩変遷正保国絵図に高八二石余。天和三年(一六八三)検地帳(高柳町史)では、田三町八反余・畑屋敷二町七反余・山一七町七反余、漆高七斗余・青苧高六斗余、屋敷持一二名。

漆島村
うるしじまむら

[現在地名]鶴岡市豊田とよだ

野興屋のこうや村の西、大山おおやま川東岸にある。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録に村名がみえ、高四二石余。寛永元年庄内高辻帳では高一〇三石余。正保郷帳では新興屋あらごうや村に含まれる。支配領主の変遷は播磨京田はりまきようでん村と同じ。承応年中(一六五二―五五)備中街道が開削され、大山川に橋が架けられた。当時の家数は五、六軒であったという(大山町史)

漆島村
うるしじまむら

[現在地名]浜松市積志町せきしちよう

下大瀬しもおおせ村の北、馬込まごめ川左岸に位置。延宝(一六七三―八一)頃の青山氏領分絵図では西端を馬込川支流のむじな川(狢川)が流れる。「遠江国風土記伝」は「続日本紀」文武四年(七〇〇)八月二二日条にみえる遠江守漆部道麻呂の故地かとしている。松平忠頼領郷村帳では高一二六石余、田五町余・畑一二町二反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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