瀬領村
せりようむら
[現在地名]金沢市瀬領町
犀川を挟んで下鴛ヶ原村・鴛ヶ原村の対岸東方に位置する。東方、西市瀬村との境に佐久間盛政が拠ったと伝える鷹巣城跡があり、当地には侍屋敷などがあったという。天正八年(一五八〇)盛政が尾山の一向一揆勢を攻撃したおり、陣中に餅・山の芋などを売りに出ていた当村民が、盛政の協力要請にこたえて尾山背後の小立野からの攻略に参加、これが成功して難攻の尾山が落ちたことから、盛政から城下での商いを認められたという。
瀬領村
せいりよむら
[現在地名]小松市瀬領町
大杉谷川上流山間部にあり、北は波佐谷村。「せりょう」とも発音する。正保郷帳では高九四一石余、田方二七町一反余・畑方二八町二反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では高九八〇石、免五ツ二分、小物成は山役八四八匁・漆役三二匁・もぢ川役七匁(三箇国高物成帳)。明治初年の本籍八七戸、人数男二一〇・女一七〇、馬二九、物産に菜種・枚木・杪・製茶・生糸がある(皇国地誌)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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