…このような比丘尼は各地を遊行したが,これを背景に〈八百(はつぴやく)比丘尼〉の伝説が生まれた。熊野信仰を各地に広めた〈熊野比丘尼〉は六道図や熊野曼荼羅などを絵解きし,江戸時代に入ると宴席にはべる〈歌比丘尼〉となり,売春婦に転落するものもいた。女性が髪を肩のあたりで切ったのを〈尼削(そぎ)〉というが,そのような髪形の童女をさす場合がある。…
…近世の下級宗教芸能者。中世の遊行宗教者である熊野の絵解(えとき)比丘尼や勧進(かんじん)比丘尼が零落したもの。ビンザサラを伴奏とした小歌などをうたい盛場に出て売色をもっぱらとしたが,春になると無紋の地味な小袖に幅広帯を前に結び,黒木綿を折った帽子を頭に脇に箱をかかえ,ひしゃくをもった小比丘尼を連れて勧進に出た。江戸中期には年の過ぎた者が御寮(おりよう)と称し,山伏などを夫にもち,江戸浅草などで比丘尼屋を出し売色をして繁盛したが,1780年代(天明年間)以降しだいにすたれた。…
…このころ,多人数が一度に鑑賞可能であり,各人がそれぞれの場面を容易に一覧しうる〈異時同図〉という壁画の特質を継承した掛幅絵が,同じく携帯や移動の点で簡便な絵巻に代わって多用されるようになった。 室町末期以降,このような通俗化した賤業の者たちの中に〈熊野比丘尼(びくに)〉とか〈絵解比丘尼〉などと呼ばれる女性が登場する。熊野牛玉(くまのごおう)や護符類を配り籾集めをするおりおり,俗に〈熊野の絵〉〈地獄極楽図〉と称する《観心十界曼荼羅(かんじんじつかいまんだら)》を用いて女子供を相手に即興性に富んだ絵解きを行ったが,文献・絵画ともに豊富な近世資料中には,絵解きの芸態や口ぶりを生き生きと伝えるものもある(《東海道名所記》《艶道通鑑》《籠耳》など)。…
…後者は全国10ヵ所以上に遺存例があり,いずれも那智山に登拝する道俗男女の姿と堂塔のたたずまいを所狭しと配置して描いており,地方民衆に熊野への参詣の意欲をわかせる性質のものであったことがわかる。これらの絵は当然絵解きのわざを伴ったと考えられ,それも初期は絵解き法師か山伏であったろうが,熊野の場合は女性の宗教者としての熊野比丘尼の活躍を認めることができる。すなわち,地方を巡歴していた中世の巫女が,熊野三山の修行に名を借り,民間に熊野系の祈禱行為とともに,熊野の神徳の絵解きを行ったのである。…
…治病,託宣などを行う漂泊の自由出家者群であり,聖(ひじり)と称されるものに対応するのが比丘尼であった。比丘尼は巫女的女性であるが,なかでも熊野比丘尼が知られている。熊野比丘尼とは熊野信仰を伝える巫女の別名で,熊野系修験者が巫女の随従を認め,彼女らに比丘尼の名を与えたものと考えられる。…
※「熊野比丘尼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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