歌比丘尼(読み)うたびくに

精選版 日本国語大辞典「歌比丘尼」の解説

うた‐びくに【歌比丘尼】

〘名〙 歌念仏を歌う尼。中世に流行し、近世まで続いた。地獄、極楽の絵解きをした勧進比丘尼絵解比丘尼熊野権現の縁起を語って牛王(ごおう)のお札を配った熊野比丘尼などがある。のちには、流行の歌をうたい薄化粧をして色を売るようになった。絵解比丘尼(えときびくに)。油引かず。
※浮世草子・好色一代女(1686)三「其人にぬれ袖の哥(ウタ)びくに迚(とて)、此津に入みだれての姿舟

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百科事典マイペディア「歌比丘尼」の解説

歌比丘尼【うたびくに】

近世の宗教芸能勧進(かんじん)比丘尼とも。諸国を勧進した紀州熊野の比丘尼(尼僧)で,牛王(ごおう)宝印を売り,腰に勧進びしゃくをさし,米をもらって修行した。のち六道絵(ろくどうえ)を携え,歌念仏や小歌をうたい,さらには頭巾(ずきん)姿で売春を行った。

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世界大百科事典 第2版「歌比丘尼」の解説

うたびくに【歌比丘尼】

近世の下級宗教芸能者。中世の遊行宗教者である熊野の絵解(えとき)比丘尼や勧進(かんじん)比丘尼が零落したもの。ビンザサラを伴奏とした小歌などをうたい盛場に出て売色をもっぱらとしたが,春になると無紋の地味な小袖に幅広帯を前に結び,黒木綿を折った帽子を頭に脇に箱をかかえ,ひしゃくをもった小比丘尼を連れて勧進に出た。江戸中期には年の過ぎた者が御寮(おりよう)と称し,山伏などを夫にもち,江戸浅草などで比丘尼屋を出し売色をして繁盛したが,1780年代(天明年間)以降しだいにすたれた。

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世界大百科事典内の歌比丘尼の言及

【尼】より

…このような比丘尼は各地を遊行したが,これを背景に〈八百(はつぴやく)比丘尼〉の伝説が生まれた。熊野信仰を各地に広めた〈熊野比丘尼〉は六道図や熊野曼荼羅などを絵解きし,江戸時代に入ると宴席にはべる〈歌比丘尼〉となり,売春婦に転落するものもいた。女性が髪を肩のあたりで切ったのを〈尼削(そぎ)〉というが,そのような髪形の童女をさす場合がある。…

【街娼】より

…なお,街娼のことを,江戸では夜鷹(よたか),京都では辻君,大坂では惣嫁(そうか)または白湯文字(しろゆもじ)などと呼んだ。また僧形に黒帽子,薄化粧で客を引いた歌比丘尼(うたびくに)や,江戸では小舟に乗って河岸の客を誘った船饅頭(ふなまんじゆう),大坂で停泊船の船員を相手に出没した〈ぴんしょ〉,安芸の大崎下島御手洗(みたらい)の〈おちょろ舟〉などの水上売春婦は,特殊形態の街娼といえよう。 明治以後における都市社会の急速な発展は,街娼の増加を促すとともに質的な多様化をもたらした。…

【比丘尼】より

…しかし幕藩体制が確立する江戸時代になると,回国できなくなり,村落に定着せざるをえなくなった。やがて〈小歌を便に色をうる〉(《人倫訓蒙図彙》)歌比丘尼に零落した。東北から中国,四国地方にかけて,各地に白(しろ)比丘尼,八百比丘尼の伝承がのこっている。…

※「歌比丘尼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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