日本歴史地名大系 「片淵御厨」の解説 片淵御厨かたぶちのみくりや 三重県:安芸郡芸濃町椋本村片淵御厨「神鳳鈔」奄芸(あんげ)郡の項に「鈴鹿郡楠原片淵御厨七十五丁、十五石」と記されている。「片淵」の地名は現在失われているが、「勢陽雑記」に「安濃郡と奄芸郡の堺奄芸郡の中に、かたぶちとて高一千石計りの田あり。村里は無之。安濃郡椋本村に受用し来る所にて、いにしへよりの帳面にも椋本村無里と記せり。川も瀬もなきに、何とて淵とはいひけるぞと尋ね侍れば」と述べて、そのあと「かたぶち」の名をめぐって西行と関守との和歌の応酬を載せている。要するに、椋本(むくもと)無里・忍田(おしだ)無里および中縄(なかなわ)村など、椋本村の北西方に広がる広い地域をさすものと思われる。楠原(くすわら)村にも隣接することから、「神鳳鈔」は「鈴鹿郡楠原」との注記を付けたものであろう。建久三年(一一九二)八月の神領注文(神宮雑書)に「片淵御厨内○給主同(内カ)宮禰宜成長等」と載せており、当時内宮一禰宜であった岡田成長が知行していたことが知られる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by