牛牧庄(読み)うしまきのしよう

日本歴史地名大系 「牛牧庄」の解説

牛牧庄
うしまきのしよう

富岡とみおか町・領家りようけ町付近に比定される庄園。本家は京都仁和寺。建仁三年(一二〇三)一〇月二〇日の紀伊国司庁宣(高野山文書)に紀州高野山勝蓮花しようれんげ院米を納める庄園として勝浦かつうら(現勝浦町)太奈たな(現小松島市)とともに牛牧庄とみえ、国衙船所の書生・梶取らが御幸渡船料と号して当庄などからの仏餉人供等の運上を妨げることを停止するよう命じている。勝蓮花院は仁和寺の子院である。永仁三年(一二九五)四月二一日の仁和寺御室定文(仁和寺文書)によると、当庄は真光しんこう(現京都市右京区)内にあった甘露王院に寄付されている。観応二年(一三五一)四月一一日の室町幕府引付頭人奉書(同文書)にも仁和寺真光院門跡領として牛牧庄とみえ、当庄雑掌定舜の訴えによって、新開新兵衛尉の乱暴を退けて、雑掌に所務を全うさせるよう一宮彦次郎と小笠原源蔵人に命じている。この新開氏は武蔵国榛沢はんざわ新開しんがい(現埼玉県深谷市)本拠とする一族で、その祖新開荒次郎は「源平盛衰記」にも登場する。

牛牧庄
うしまきのしよう

阿武あぶ川の下流、現椿東の中津江ちんとうのなかつえ椿の沖原つばきのおきばら一帯の地を荘域とする近衛家の荘園。立荘の時期は平安時代中頃と思われるが不詳。

牛牧の名は「殿暦」の康和四年(一一〇二)二月三日条に「午剋許長門牛牧牛将来、六頭也」とみえるのが早く、牛六頭を進貢している。また同書永久元年(一一一三)二月三日条にも牛七頭が進貢されている記事がみえる。

建長五年(一二五三)一〇月二一日付の近衛家所領目録(近衛家文書)に「長門 牛牧 京極殿領内」とみえ、近衛家の所領となっている。同目録によれば、藤原頼通から師実―忠実―泰子―忠通―近衛基実と伝領された所領の一部となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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