日本歴史地名大系 「牟婁郡」の解説
牟婁郡
むろぐん
現和歌山県・三重県の南部にわたって存在した郡で、郡域は現田辺市・
牟婁はもともと現田辺湾沿岸とその周辺の地名であったが、のち、この地域に郡家が置かれたことにより郡名になったと思われる。郡名としては「日本書紀」持統天皇六年五月六日条に「紀伊国の牟婁郡」とみえるのが早く、「続日本紀」大宝元年(七〇一)一〇月九日条に「武漏郡」、同三年五月九日条に「但阿提・飯高・牟漏三郡献銀也」、平城宮出土木簡に「无漏郡」「牟婁郡」、天平勝宝二年(七五〇)二月二一日付村君安麻呂勘籍(正倉院丹裏古文書)に「牟婁郡」、「大和物語」に「むろの郡」とみえる。また「室郡」と記されることも多い。
地名としての牟婁は「日本書紀」斉明天皇三年九月条に「牟婁温湯」、同四年一一月条或本に「牟婁津」、同書天武天皇一四年四月条に「牟婁温泉」、「続日本紀」大宝元年一〇月条に「武漏温泉」、同書天平勝宝六年正月条に「牟漏崎」とみえ、温泉は現西牟婁郡の
牟婁郡
むろぐん
- 三重県:紀伊国
- 牟婁郡
紀伊半島南部、紀伊国南東部に位置し、郡域は現三重・和歌山両県にわたる。近代に入って東西南北の四郡に分れ、うち南牟婁郡・北牟婁郡域が三重県に属するが、古くは北牟婁郡域(現尾鷲市を含む)は志摩国
「日本書紀」持統天皇六年五月六日条に「紀伊国の牟婁郡」、「続日本紀」大宝元年(七〇一)一〇月九日条に「武漏郡」、同三年五月九日条に「阿提・飯高・牟漏三郡献銀也」、平城宮出土木簡に「无漏郡」などとみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報