改訂新版 世界大百科事典 「牧氏の変」の意味・わかりやすい解説
牧氏の変 (まきしのへん)
1205年(元久2)鎌倉幕府初代執権北条時政の後妻牧の方が,夫と謀って将軍源実朝を殺害,女婿で頼朝の猶子となっていた平賀朝雅を将軍に立てようとして失敗した事件。牧の方は,長年平頼盛に仕えて駿河国大岡牧を預けられた大岡(牧)宗親の娘で,時政との結婚は1182年(寿永1)以前にさかのぼる。1204年(元久1)11月,京都守護として在洛中の朝雅が酒宴の間に畠山重保(重忠男)と争い,重保を牧の方に讒訴,翌年6月時政夫妻は義時,時房らの制止にもかかわらず,重忠・重保父子を滅亡させた。ついで閏7月牧氏の変に及んだが,今度は政子・義時が事前に実朝を保護したために失敗。時政は出家のうえ,伊豆北条に隠退させられ,義時が執権職を継いだ。京都の朝雅は討手を向けられて自殺,牧の方の兄弟大岡時親も出家した。牧の方自身は時政に同行したと伝えられるが,承久の乱後の京都で〈関東禅尼〉と呼ばれ,時政の13年忌法要を営んだ事実が分かる。
執筆者:杉橋 隆夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報