新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「牧野 伸顕」の解説
牧野 伸顕
マキノ ノブアキ
- 肩書
- 内大臣,宮内相,外相,文相
- 生年月日
- 文久1年10月22日(1861年)
- 出生地
- 薩摩国鹿児島(鹿児島県鹿児島市)
- 学歴
- 開成学校(現・東京大学)中退
- 経歴
- 明治の元勲・大久保利通の二男に生まれ、牧野家の養子となる。明治4年父の洋行に随員として参加したのが機で知った同行の伊藤博文に引き立てられて法制局参事官、福井・茨城各県知事。30年からはイタリア、オーストリア・ハンガリーの各公使を歴任。40年以降は第1次西園寺内閣の文相、第2次同内閣の農商務相を務めたあと、大正2年第1次山本内閣の外相となり、8年のベルサイユ講和会議では次席全権として活躍した。10年から宮内相、14年からは内大臣として15年間、西園寺公望とともに昭和天皇の側近にあって軍部の横暴阻止に努める。このため右翼からは“君側の奸”として標的とされ、軍部急進派からも親英米派としてマークされるようになり、昭和10年病気を理由に辞任。翌年の2.26事件では神奈川県・湯河原の旅館に滞在中を襲われたが、九死に一生を得て隠退。のち帝室経済顧問、東亜同文会会長、日本棋院総裁などを務めた。日本に野球を輸入した元祖としても知られ、著書に大正7年までの経歴を記した「牧野伸顕回顧録」がある。平成2年日記(大正10年〜昭和13年)が公開された。
- 没年月日
- 昭和24年1月25日
- 家族
- 父=大久保 利通(政治家)
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報