湯河原(読み)ユガワラ

デジタル大辞泉 「湯河原」の意味・読み・例文・類語

ゆがわら〔ゆがはら〕【湯河原】

神奈川県南西部、足柄下郡地名温泉町で、泉質単純温泉塩化物泉など。中世土肥氏本拠地城願寺境内の大ビャクシン天然記念物

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「湯河原」の意味・読み・例文・類語

ゆがわらゆがはら【湯河原】

  1. 神奈川県南西部の地名。静岡県熱海市に隣接し、観光地箱根を控える温泉町。ミカン栽培が行なわれる。湯河原温泉万葉公園などがある。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「湯河原」の意味・わかりやすい解説

湯河原(町)
ゆがわら

神奈川県南西部、足柄下郡(あしがらしもぐん)にある町。南部と西部は静岡県(熱海(あたみ)市、函南(かんなみ)町)に接する。1926年(大正15)町制施行。1955年(昭和30)吉浜(よしはま)町、福浦村と合併。JR東海道本線、国道135号、真鶴(まなづる)道路、箱根ターンパイク、湯河原パークウェイが通じる。町域は地形上、湯河原火山の火口底と火口瀬(千歳(ちとせ)川本支流)の低地奥地は箱根火山の古期外輪山の斜面である。湯河原火山の火口底を流れる藤木川(千歳川支流)の川床を中心に温泉(上の湯、下の湯)が湧(わ)き出し温泉街が発達した。湯河原には多くの文化人が訪れていて、温泉街には「湯河原ゆかりの美術館」(現、町立湯河原美術館)と万葉公園がある。また、これより川沿いに約3キロメートル上った所に奥湯河原温泉があり、閑静な谷間の湯として知られ、周囲は県立奥湯河原自然公園になっている。泉質は単純温泉、塩化物泉、硫酸塩泉などで、1934年(昭和9)の丹那トンネル(たんなとんねる)の開通後急速に発展した。箱根とは湯河原パークウェイと湯河原新道(椿(つばき)ライン)で結ばれ、沿道一帯は広くミカン園に開かれている。中世初頭は土肥氏(どいうじ)の本拠地として知られ、いまもその山城(やまじろ)跡(城山、563メートル)が残っている。湯河原駅に近い城願寺(じょうがんじ)は土肥氏の館(やかた)跡とされ、土肥一族の墓があり、吉浜の土肥椙山(すぎやま)の巌窟(がんくつ)は石橋山の合戦に敗れた源頼朝(よりとも)が隠れていた岩穴といわれる(ともに県指定史跡)。また城願寺のビャクシン、城堀(じょうぼり)の山神の樹叢(じゅそう)は国指定天然記念物である。面積40.97平方キロメートル、人口2万3426(2020)。

[浅香幸雄]

『『湯河原町史』(1984~1987・湯河原町)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「湯河原」の意味・わかりやすい解説

湯河原[町] (ゆがわら)

神奈川県南西端,足柄下郡の町。人口2万6848(2010)。静岡県境にあたる千歳川と箱根外輪山から流出する藤木川の合流部に温泉がわき,〈刀比(とい)の湯〉〈土肥(とい)の湯〉〈小梅の湯〉などと呼ばれて,《万葉集》巻十四にも,〈足柄(あしがり)の土肥の河内(こうち)にいづる湯〉と詠まれている。中世には相模平氏の分流土肥氏の拠点となり,近世は土肥村に属した。湯河原温泉(含セッコウ食塩泉,41~88℃)は明治末年ころから旅館がふえはじめ,日露戦争時に陸軍の療養所ができて著名となった。1887年東海道線が国府津(こうづ)まで通じたが,熱海までは人車鉄道(のちに軽便鉄道となる)によるしかなかった。湯河原が急速な発展をみたのは1934年の丹那トンネルの開通以後である。いま温泉街は古くからの温泉場地区のほか広河原(奥湯河原ともいう)地区と湯河原駅付近に広がる。旅館約100軒,民宿・ペンション40軒を数える。近年有料老人ホーム,リゾートマンションなどの施設が増えている。箱根山へは椿ラインと湯河原パークウェーが通じ,箱根と一帯となった観光地となっている。ミカン狩りなど観光農業が行われる。土肥一族の墓がある城願寺のビャクシン,山神の樹叢は天然記念物。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「湯河原」の意味・わかりやすい解説

湯河原[町]【ゆがわら】

神奈川県南西部,足柄下(あしがらしも)郡の町。箱根火山南東斜面を占め,古くから湯河原温泉(弱食塩泉,41〜88℃)の温泉町として発達,京浜の行楽地,保養地として有名。東海道本線が通じ,奥湯河原からは箱根へ,大観山椿ライン,湯河原パークウェーが通じている。柑橘(かんきつ)類の栽培が盛ん。40.97km2。2万6848人(2010)。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の湯河原の言及

【湯河原[町]】より

…中世には相模平氏の分流土肥氏の拠点となり,近世は土肥村に属した。湯河原温泉(含セッコウ食塩泉,41~88℃)は明治末年ころから旅館がふえはじめ,日露戦争時に陸軍の療養所ができて著名となった。1887年東海道線が国府津(こうづ)まで通じたが,熱海までは人車鉄道(のちに軽便鉄道となる)によるしかなかった。…

※「湯河原」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android