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玉乃世履 たまのせいり

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

玉乃世履
たまのせいり

[生]文政8(1825).7.21. 岩国
[没]1886.8.8. 東京
明治の司法官。岩国藩士の家に生れ,藩儒に学んだ。維新後,司法中判事より,1875年5月初代大審院長。 79年 10月司法大輔兼元老院議官,81年にも再度大審院長を歴任。努力家で,名判官をうたわれる一方,治罪法陸軍刑法の審査,民法編纂などの立法事業にも寄与したが,突然原因不明のまま自刃した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

玉乃世履 たまの-せいり

1825-1886 幕末-明治時代の武士,司法官。
文政8年7月21日生まれ。周防(すおう)(山口県)岩国藩士。玉乃九華に師事,師の没後,玉乃姓を名のる。第2次幕長戦争では農兵北門団をひきいて幕府軍に応戦。維新後司法権(ごんの)大判事などをへて明治11年初代大審院長となる。再任後の明治19年8月8日自殺した。62歳。本姓は桂。字(あざな)は公素。通称は泰吉郎,東平。号は五竜。

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朝日日本歴史人物事典の解説

玉乃世履

没年:明治19.8.9(1886)
生年:文政8.7.21(1825.9.3)
明治前期の司法官。岩国藩(山口県)藩士桂脩助の子。号は五竜,通称は東平,泰吉郎。玉乃九華に学び,九華没後その跡を継いで玉乃の姓を名乗った。長州征討の折に農民隊を率いて幕軍を迎え撃ち,その功績により御蔵元の仕置方に任ぜられた。明治2(1869)年1月若松表民政取締としてはじめて新政府に出仕。その後,民部省判事,聴訟司知事,民部権大丞兼東京府権大参事などを歴任。4年8月,新設された司法省に入って司法権大判事となり,広沢真臣参議暗殺事件をはじめ数々の事件で辣腕を振るい,また江藤新平司法卿の時代に各種の法典編纂に参与した。8年5月,新設の大審院の院長代理(院長は欠員)を命ぜられた。このとき,現在の最高裁判所に当たる大審院の地位は各省の下と定められたが,2等判事玉乃世履の院長代理就任はその地位の低さを象徴している。11年9月初代大審院長に任命されたが,翌年10月司法大輔に転じ元老院議官を兼ねた。14年7月大審院長に再任され,15年1月高等法院の裁判長を兼任する。内乱罪などを管轄する同院は,自由党福島事件の審理に当たって政府側の圧力にもかかわらず,大部分の被告を無罪とし,大物数名のみを内乱罪としては最も軽い刑で処理した。これは,司法権の独立がまだ確立しておらず,大審院の地位が低い時代に,玉乃が藩閥政府に対して試みた司法権確立のためのぎりぎりの抵抗とみることもできる。自宅で自殺を遂げたが,その原因には諸説あり,真相は不明である。

(楠精一郎)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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