治罪法(読み)ちざいほう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

治罪法
ちざいほう

明治 13年太政官布告 37号。 1882年1月1日に施行された日本で最初の近代的刑事訴訟法典。御雇外国人 G.ボアソナード (フランス人) がフランス治罪法を基礎に諸国の法を参照して原案起草し,それを元老院において修正のうえ公布したもの。同時にボアソナードの起草した刑法典 (→旧刑法 ) も施行されたので,ここに近代的刑事法典が全面的に行われることになった。検事による国家訴追主義の採用を明言し,予審,証拠に関する自由心証主義,裁判の公開および刑事弁護の制度を認めた。上告の規定は実施されたが,控訴の規定は実施されず,85年に軽罪の控訴が認められた。 90年,裁判所構成法制定に伴いこれを修正して新たな刑事訴訟法の施行とともに廃止された。

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世界大百科事典 第2版の解説

ちざいほう【治罪法】

刑事手続に関する日本最初の近代的法典。1880年7月17日に公布され,82年1月1日から施行された。治罪法制定以前,明治初頭の日本の刑事法制は,まず律令法制の復活に始まり,新律綱領(1870),改定律例(1873)があいついで制定された。しかしヨーロッパ近代法――とくにフランス法――をとした刑事手続の近代化の動きも個々的に進行しており,すでに治罪法制定までの間に,改定律例の自白による断罪を定めた規定の廃止と証拠裁判主義自由心証主義の採用(1876),検事の公訴による国家訴追主義,弾劾主義確立(1878),拷問の廃止(1879)等の法改革が進められつつあった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

治罪法
ちざいほう

1880年(明治13)に制定され、1882年1月1日に旧刑法とともに施行された刑事訴訟法典。フランス人ボアソナードが原案を起草したもので、フランス法系である。治罪法によって、検事公訴主義、予審、保釈、裁判公開などの制が確立された。ボアソナードの起案以来、重罪裁判所の裁判では陪審制を必須(ひっす)としていたが、内閣では陪審制は時期尚早であるとして、これを削除した。また軽罪につき控訴の道が開かれた。もっとも、治罪法の施行直前、その規定中、刑事の控訴に関する条件は当分実施しないことになった。刑事裁判所についても規定しているが、これはまだ裁判所構成法が制定されていなかったからである。1890年、刑事訴訟法の施行により廃止された。

[石井良助]

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精選版 日本国語大辞典の解説

ちざい‐ほう ‥ハフ【治罪法】

〘名〙 犯罪の処分に関する手続、およびその裁判所の構成などを定めた法律。日本のものはフランス人ボアソナードが、フランス治罪法典などをもとに原案を起草。明治一三年(一八八〇)制定、同一五年施行。同二三年刑事訴訟法の施行により廃止された。
※明六雑誌‐一〇号(1874)拷問論・二〈津田真道〉「拷問を廃せんと欲せば先づ治刑の法を改定すべし、葢欧米各国皆所謂治罪法あり」

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旺文社日本史事典 三訂版の解説

治罪法
ちざいほう

1880(明治13)年公布された,日本最初の近代的刑事訴訟法
フランスの治罪法を範としたボアソナードの草案を修正して公布。犯罪捜査・裁判手続きの改革,拷問 (ごうもん) の禁止など,部分的に近代的制度を導入した。'90年刑事訴訟法公布・施行まで実施。

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世界大百科事典内の治罪法の言及

【法制史】より

…新しい統治機構を守る軍事・警察機構は,1872年の陸海軍両省の設置と73年の徴兵令の制定,73年の内務省警保寮設置,74年の警視庁設置によって整備された。治安維持の重要な手段である刑事法は,すでに1870年に新律綱領,73年に改定律例が制定され,さらに1880年には,フランス人のボアソナードによって起草された最初の近代法典である刑法および治罪法(刑事訴訟法)が制定され,82年から施行された。資本主義発展の基礎をつくるための法として重要なものは,人民を把握するための戸籍法(1871公布。…

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