玉虫 文一
タマムシ ブンイチ
大正・昭和期の物理化学者 元・東京大学教授。
- 生年
- 明治31(1898)年10月18日
- 没年
- 昭和57(1982)年7月26日
- 出生地
- 宮城県仙台市
- 学歴〔年〕
- 東京帝大理工学部化学科〔大正11年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- ボルフガング・オストワルド賞(西独コロイド学会)〔昭和50年〕,日本化学会化学教育賞(第1回)〔昭和51年〕
- 経歴
- 大正11年理化学研究所助手、13年根津育英会武蔵高教授。昭和2〜4年ドイツ・ウィルヘルム物理化学研究所に留学。帰国後、根津化学研究所長を経て、21年武蔵高校長、24年東大教養学部教授に就任、学習院大学教授兼任。34年定年退官後、東京女子大学、武蔵大学教授を歴任。日本のコロイド化学研究の創始者で、50年西ドイツ・コロイド学会からボルフガング・オストワルド賞を受賞した。著書に教科書「膠質化学」「物理化学序論」や「科学と一般教育」などがあり、科学教育にも熱心だった。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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玉虫文一
たまむしぶんいち
[生]1898.10.18. 仙台
[没]1982.7.26. 群馬
化学者。東京帝国大学化学科を卒業 (1922) ,理化学研究所の片山研究室に入り界面化学を研究。武蔵高校 (24~48) ,東京大学教養学部教授 (49~59) 。東京女子大学教授 (59~62) 。第2次世界大戦前より岩波書店の化学関係の編集顧問となり,雑誌『科学』や『理化学辞典』『科学の事典』などの編集に尽力し,自然科学の普及に貢献した。戦後は新制大学における一般教育ならびに科学史教育の確立に力を尽し,著書に『大学における一般教育』などがある。コロイド化学に関する業績に対して 1975年ドイツより W.オストワルト賞を与えられた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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玉虫文一 たまむし-ぶんいち
1898-1982 大正-昭和時代の物理化学者。
明治31年10月18日生まれ。理化学研究所で界面化学を研究。武蔵高教授をへて,昭和11年根津化学研究所所長,24年東大教授となる。50年ウォルフガング-オストワルト賞を受賞。昭和57年7月26日死去。83歳。宮城県出身。東京帝大卒。著作に「科学・教育・随想」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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玉虫 文一 (たまむし ぶんいち)
生年月日:1898年10月18日
大正時代;昭和時代の物理化学者。東京大学教授
1982年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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