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理化学研究所 りかがくけんきゅうじょRIKEN

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

理化学研究所
りかがくけんきゅうじょ
RIKEN

日本を代表する自然科学の総合研究所で,文部科学省所管の独立行政法人。略称は理研本部埼玉県和光市高峰譲吉らの構想をもとに,1917年物理学化学の基礎・応用の研究を行なう民間の研究所,財団法人理化学研究所として東都文京区駒込に設立された。研究成果を製品化して販売する会社を多数設立し,最盛期 63社を擁する理研コンツェルンを形成したが,第2次世界大戦後の 1947年財閥解体により解散。翌 1948年,株式会社科学研究所となり,1958年科学技術庁傘下の特殊法人理化学研究所として改組され,2003年独立行政法人となった。本部のある和光市を含め,宮城県仙台市茨城県つくば市,東京都,神奈川県横浜市,愛知県名古屋市大阪府吹田市兵庫県神戸市,兵庫県佐用町の国内 9ヵ所に拠点をもつ。日本の原子物理学研究は,仁科芳雄を中心にしてここで始められた。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

理化学研究所

文部科学省が所管する独立行政法人で、物理学、医学工学など広い分野を扱う総合研究機関。所属する全研究者は約3千人に上る。本部は埼玉県和光市。「2位じゃだめなんでしょうか?」で有名となったスパコン「京」は神戸市の計算科学研究機構に置かれた。全国9カ所に拠点がある。2013年度に国から出た運営費交付金は約550億円。

(2014-06-05 朝日新聞 朝刊 3総合)

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デジタル大辞泉の解説

りかがく‐けんきゅうじょ〔リクワガクケンキウジヨ〕【理化学研究所】

物理・化学の研究およびその応用などの研究を目的に、大正6年(1917)財団法人として設立された機関。第二次大戦後、株式会社科学研究所となったが、昭和33年(1958)政府の出資を得て特殊法人理化学研究所として整備された。平成15年(2003)文部科学省所管の独立行政法人として再発足。平成27年(2015)国立研究開発法人理化学研究所となる。企業や大学との共同研究、知的財産権等の産業界への技術移転も視野に入れ、知的財産戦略センター、新興・再興感染症研究ネットワーク推進センター、放射光科学総合研究センター、次世代スーパーコンピューター開発実施本部などを開設している。本所は埼玉県和光市。理研。

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百科事典マイペディアの解説

理化学研究所【りかがくけんきゅうじょ】

科学技術に関する試験研究を総合的に行い,その成果を普及することを目的とする独立行政法人。略称理研。埼玉県和光市に本拠を置き,原子核,物性物理,応用物理,基礎工学,無機・有機化学,生物化学,農薬等多くの部門をもつ。20世紀に入って,欧米諸国と対等の地位を保つには科学技術力の振興が不可欠で,そのための科学研究所を設立するべきだとの認識が強まり,高峰譲吉らの運動もあって,1917年(大正6年)財団法人として創立された。初代所長菊池大麓。3代目所長大河内正敏(1921年―1946年)のとき研究分野を拡張,研究室制をしき,また研究成果を利用し理研コンツェルンを形成するなど最盛期を迎えた。1948年株式会社科学研究所に改組,1958年理化学研究所法に基づき政府出資の特殊法人となり,2003年独立行政法人として再発足。日本の科学技術開発の基幹を担う巨大研究センターだが,2014年のSTAP細胞事件で組織のありかたが厳しく問い質されている。
→関連項目遺伝子銀行大河内正敏菊池正士後藤英一細胞銀行桜井錠二西川正治

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世界大百科事典 第2版の解説

りかがくけんきゅうじょ【理化学研究所 Institute of Physical and Chemical Research】

理研と略称される。日本を代表する総合的な科学研究所。半官半民の特殊法人で,埼玉県和光市に本拠を置く。前身は1917年に設立された財団法人理化学研究所で,これが第2次大戦後解体され,株式会社科学研究所を経て,現在の組織となった。 日本が欧米列強と伍していくには,科学技術力の育成が不可欠であり,そのために科学研究所を設立すべきであるとの論議が,20世紀初頭以来,一部の識者の間で唱えられ始めた。例えば,1913年,高峰譲吉は国民科学研究所の設立を提案し,政・財界有力者に働きかけた。

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大辞林 第三版の解説

りかがくけんきゅうじょ【理化学研究所】

科学研究機関。本部は埼玉県和光市。1917年(大正6)物理・化学の研究と応用、研究者養成を目的として設立され、財団法人として発足。研究成果を工業化・商品化して40年には理研コンツェルンに発展したが、敗戦により解体。一時、科学研究所と称したが、58年政府出資による特殊法人として再生。2003年(平成15)独立行政法人に移行。理研。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

理化学研究所
りかがくけんきゅうじょ

物理学と化学の研究を目的に設立された日本の代表的な科学研究所。「理研」と略称される。1913年(大正2)高峰譲吉(じょうきち)が国民科学研究所の設立を提唱し、渋沢栄一らが中心となって設立運動を始めた。14年、第一次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)により化学製品が輸入困難になったこともあり、17年6月、民間からの寄付、国庫補助、皇室下賜金を資金に、財団法人理化学研究所が設立された。「理化学研究所ノ事業ト産業界」と題された小冊子には、その目的が「物理学及(および)化学ニ関スル独創的研究ヲ為(な)シ又之(これ)ヲ奨励シ以(もっ)テ工業其(その)他一般産業ノ発達ニ資セムコトヲ期ス」とあり、基礎的研究、基礎と応用の統一的研究、依頼研究、他の研究所との連携、研究者の養成、研究の表彰と補助、発明考案の完成、研究成果の公表などを行うとした。研究所建物は現東京都文京区駒込(こまごめ)に建てられた(1918~25)。所長は初代が菊池大麓(だいろく)、2代が古市公威(ふるいちきみたけ)、3代が大河内正敏(おおこうちまさとし)と続く。理研には長岡半太郎、本多光太郎(ほんだこうたろう)、池田菊苗(きくなえ)、鈴木梅太郎ら第一級の科学者が名を連ね、仁科芳雄(にしなよしお)も原子核研究で活躍。大河内は研究室制度を導入する一方、研究成果の製品化・商品化を図って、いわゆる理研コンツェルンをつくり、研究費を充実させた。第二次世界大戦後、コンツェルン、理研とも解体させられたが、1958年(昭和33)に特殊法人として再生。2003年(平成15)10月、新たに独立行政法人として発足。初代理事長は野依良治(のよりりょうじ)。筑波、神戸などに研究所をもち、本所は埼玉県和光市に置いている。[栗原 裕]

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世界大百科事典内の理化学研究所の言及

【大河内正敏】より

…千葉県の旧大多喜藩主の家に生まれ,東京帝国大学工科造兵学科を卒業。母校の教授となったが,1921年理化学研究所の所長に就任した。同研究所は27年みずからの所有する特許を企業化するために理化学興業を設立し,その後も特許にもとづく企業の設立が相次ぎ,機械・金属・化学工業を中心とするいわゆる理研コンツェルンが形成されるが,大河内は46年まで所長としてその指導にあたった。…

【科学技術政策】より

…科学関係では,アカデミーとしての帝国学士院の発足(1906),文部省の学術研究会議の設置(1919),また32年には研究の援助奨励を行う財団法人日本学術振興会が発足している。またはじめての民間総合研究機関として財団法人理化学研究所が政府・民間の援助のもとに1917年に発足した。満州事変以後戦時色がしだいに濃くなり国防力強化を目ざして技術振興がとりあげられ,重工業に対する各種の育成措置がとられた。…

【理研コンツェルン】より

…昭和初期に台頭した新興コンツェルンの一つで,財団法人理化学研究所(略称理研)の成果を工業化することにより発展し,理研産業団ともよばれた。理研は,1917年に〈産業の発達に資するため理化学を研究し,その成績の応用を図る〉目的で,政府助成のもとに設立され,以来,理研がもつ特許は年々増加していった。…

※「理化学研究所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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