出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…ローマ帝国時代には,個々の賢人や七賢人全員の肖像をモザイクや壁画に描くことが流行した。【藤縄 謙三】(2)中国,三国魏の末期,放達の行為で知られた7人の自由人,すなわち阮籍(げんせき),嵆康(けいこう),山濤(さんとう),王戎(おうじゆう),向秀(しようしゆう),阮咸(げんかん),劉伶(りゆうれい)。一般に〈竹林の七賢〉とよばれるのは,嵆康の郷里の山陽(江蘇省淮安県)の竹林にあつまって酒をくみかわし,談論にふけったからである。…
…後漢からは,31年(建武7)南陽太守に移った杜詩が手押しのふいごをやめ水力ふいごを作って冶金の効果をあげたといわれるなど,水車使用の記録が多く見られる。その後,晋の王戎の水碓は天下にあまねく,石崇の死後には30余区の水碓があったといわれるほか,晋から唐時代の荘園に付設された水碓・水磑と,一般の農田との間に水争いがおこっていることから,水車の使用の普及がうかがえる。これらの水車は揚水のほか,脱穀,製粉等穀類の各種の調整に使用されたが,史料的にその構造ははっきりしない。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...