王滬寧(読み)おうこねい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「王滬寧」の意味・わかりやすい解説

王滬寧
おうこねい / ワンフーニン
(1955― )

中国の政治学者、政治家。山東(さんとう)省莱州(らいしゅう)県(現、莱州市)で生まれる。1977年2月上海(シャンハイ)出版局の幹部となる。同年に復活した全国大学選抜入学試験で優秀な成績を収め、復旦(ふくたん)大学の修士課程に入学し、1981年に法学修士を取得した。その後、復旦大学国際政治学部専任講師、副教授(準教授)、教授を歴任。この間1984年4月に共産党入党。1989年からは国際政治学部主任(研究科長)、1994年から法学院長を務めた。この時期は知識人や政治家の間で「世紀改革論議」が盛んに行われ、自身も若手政治学者として積極的に発言した。彼の主張は民主化推進論者とは異なって、当時の中国には安定を重視し強力な権威をもち経済近代化を積極的に推進するストロングマン(新権威主義独裁者)が必要であると説いていた。1995年に、江沢民(こうたくみん)、曽慶紅(そうけいこう)(1939― )に見込まれ中央に抜擢(ばってき)され、1995年から1998年に中央政策研究室政治組組長、1998年から2002年まで同研究室副主任、2002年から2007年は同研究室主任となり、中央の政治情勢分析、政策立案に重要な影響力をもつこととなった。その後も研究室主任の地位を保ちながら、2007年には党中央書記処書記、2012年には党中央政治局委員、2014~2017年にはこれらに加えて習近平(しゅうきんぺい)が新設した中央全面深化改革領導小組弁公室主任についた。そして2017年の第19回党大会後には中央政治局常務委員となり、前述のポストに加えて中央精神文明建設委員会主任となった。

 王は江沢民に抜擢され党中央政策研究室に異動して以来、一貫して江沢民、胡錦濤(こきんとう)、習近平の政策ブレーンの中核となっている。しかし習近平時代になって、学者出身としては毛沢東(もうたくとう)時代の胡喬木(こきょうぼく)以来の党中央政治局委員となり、外交、政治体制改革を軸に重要政策策定の中心になり、第19回党大会ではトップセブン(政治局常務委員)の一人となった。王はかならずしも習と特別な関係をもって側近となった人物ではなかったが、政策策定面でまさに「余人をもってかえがたい」人物になったのであろう。

天児 慧 2018年4月18日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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