胡喬木(読み)こきょうぼく(その他表記)Hu Qiao-mu

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「胡喬木」の意味・わかりやすい解説

胡喬木
こきょうぼく
Hu Qiao-mu

[生]1912. 江蘇,塩城
[没]1992
中国のジャーナリスト,政治家。清華大学,浙江大学中退。 1932年 (一説では 35年) 中国共産党入党,1930年代初期に北京の学生運動の指導に参加。 35年以後上海の左翼文化総同盟書記などを担当。 37年に延安に入り青年運動や宣伝工作に従事。 41年より毛沢東の政治秘書と中共中央政治局秘書になった。 48年より新華通信社社長。 49年以後政務院新聞総署署長,50年に中共中央宣伝部副部長,54年中央副秘書長に就任。 56年の八全大会で中央委員および中央書記局書記候補に選出。 54年に採択された憲法および 56年の八全大会の重要文件などの起草や『毛沢東選集』の編集に参加している。文化大革命以前病気で療養。 75年国務院政治研究室の責任者として 鄧小平の整頓政策に協力。 77年に中国社会科学院院長,毛沢東著作編集出版委員会弁公室主任,中央党史研究室主任をつとめ,78年に中央委員に補選され,80年に中央書記処書記にも就任。 82年十二全大会で中央政治局委員に選出され,マス・メディア,文化,イデオロギーおよび宣伝工作を主管した。 87年十三全大会より第一線から中央顧問委員会常務委員に退いた。イデオロギーを担当した時期に,人道主義疎外化理論やブルジョア自由化の批判キャンペーンを組織したなどで保守派イデオローグと見なされた。著書『中国共産党の 30年』 (1951) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「胡喬木」の意味・わかりやすい解説

胡喬木
こきょうぼく / フーチヤオムー
(1911/1912―1992)

中国の理論家。江蘇(こうそ)省塩城県出身。1930年北京(ペキン)の清華大学卒業。1931年満州事変後、共産主義青年団北京市委員となる。1935年上海(シャンハイ)で中国共産党に入党。1937年延安(えんあん)で毛沢東(もうたくとう)青年幹部学校教務長。1941年毛沢東政治秘書。重慶(じゅうけい)で党機関紙『新華日報』編集長。1949年新政府新聞総署長。1950年党宣伝次長。1952年新華通信社長。1954年党副秘書長。1956年『毛沢東選集』編集員。党中央委員兼書記候補。1967年劉少奇(りゅうしょうき)派として失脚したが、1974年部分的復活。1978年社会科学院長。党中央委員。1979年(昭和54)に来日した。1980年党書記。1982年党政治局員となる。著書に『中国共産党の30年』(『人民日報』の共産党30周年記念論文、1951)がある。

[高市恵之助・渋谷 司]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android