コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

田中足麻呂 たなかの たりまろ

2件 の用語解説(田中足麻呂の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

田中足麻呂 たなかの-たりまろ

?-698 飛鳥(あすか)時代の武人。
伊勢(いせ)(三重県)の湯沐令(ゆのうながし)(東宮に支給された食封(じきふ)の地の役人)。壬申(じんしん)の乱(672)の際,吉野を発した大海人(おおあまの)皇子(天武天皇)を鈴鹿関にむかえ,その後,伊賀(いが)と近江(おうみ)をむすぶ倉歴道(くらふのみち)をまもったが,大友皇子(弘文(こうぶん)天皇)方の田辺小隅(おすみ)軍の奇襲をうけて大敗した。文武天皇2年6月死去。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

田中足麻呂

没年:文武2.6(698)
生年:生年不詳
7世紀後半の官人。名は足摩侶とも書く。壬申の乱(672)で大海人皇子(のちの天武天皇)方で活躍したひとり。伊勢国(三重県)の湯沐令(東宮の封戸である湯沐の管理者)であった。吉野(奈良県吉野町)から東国に向かった大海人皇子を国司らと鈴鹿関(三重県関町)で迎え,次いで倉歴道(三重県伊賀町から滋賀県甲賀町に至る)に遣わされたが,近江朝廷の別将田辺小隅の奇襲にあって大敗した。直広参で死去し,このとき壬申の功をもって直広壱を贈位された。

(橋本義則)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

田中足麻呂の関連キーワード大伴談大伴馬来田坂合部唐佐味少麻呂蘇我安麻呂高向国押調淡海調老人刀利宣令

今日のキーワード

災害派遣

天災地変その他の災害に際して,人命または財産の保護のために行なわれる自衛隊の派遣。災害出動ともいう。都道府県知事などの要請に基づいて,防衛大臣が派遣することを原則とするが,特に緊急を要する場合,要請を...

続きを読む

コトバンク for iPhone