田中 澄江(読み)タナカ スミエ

20世紀日本人名事典 「田中 澄江」の解説

田中 澄江
タナカ スミエ

昭和・平成期の劇作家,小説家 女性の登山の会主宰



生年
明治41(1908)年4月11日

没年
平成12(2000)年3月1日

出生地
東京・板橋

旧姓(旧名)
辻村

学歴〔年〕
東京女高師(現・お茶の水女子大学)国文科〔昭和7年〕卒

主な受賞名〔年〕
ブルーリボン賞脚本賞(第2回・昭26年度)「我が家は楽し」「少年期」「めし」,NHK放送文化賞(第13回)〔昭和37年〕,芸術祭賞優秀賞(音楽放送部門)(第26回・昭46年度)「NHK・長崎の緋扇」(作詞),芸術選奨文部大臣賞(文学・評論部門)(第24回)〔昭和48年〕「カキツバタ群落」,紫綬褒章〔昭和52年〕,読売文学賞(第32回・随筆紀行賞)〔昭和55年〕「花の百名山」,勲四等宝冠章〔昭和59年〕,紫式部文学賞〔平成8年〕「夫の始末」,東京都名誉都民〔平成11年〕

経歴
昭和7年聖心女子学院に勤務。学生時代から岡本綺堂主宰の「舞台」などで習作にはげむ。9年劇作家・田中千禾夫と結婚。菊池寛戯曲研究会にも参加、14年「劇作」に発表した「はる・あき」で知られるようになる。戦後は一時期地方新聞の芸能記者として働きながら戯曲「悪女と眼と壁」「京都の虹」などを発表。26年カトリックの洗礼を受ける。30年「つづみの女」、34年「がらしあ・細川夫人」を発表する一方、小説面でも活躍し「虹は夜」「きりしたん殉教のあとをたずねて」などを発表。また、NHK朝のテレビ小説「うず潮」「虹」で知られるシナリオ作家でもあった。登山好きで知られ、女性の登山家の会を主宰。昭和63年自宅に無名女性画家のための嫁菜の花美術館を建設。晩年は随筆「老いは迎え討て」などを著し、老年哲学を説いた。他の著書に「カキツバタ群落」「ハマナデシコと妻たち」「花の百名山」「新・花の百名山」、自叙伝「遠い日の花のかたみに」、自伝風連作をまとめた「夫の始末」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「田中 澄江」の解説

田中 澄江 (たなか すみえ)

生年月日:1908年4月11日
昭和時代;平成時代の劇作家;小説家
2000年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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