改訂新版 世界大百科事典 「田代氏」の意味・わかりやすい解説
田代氏 (たしろうじ)
鎌倉時代以来の武家。系図によれば後三条天皇第3皇子輔仁親王より出,後三条源氏を称している。伊豆国狩野荘田代郷(現静岡県伊豆市,旧修善寺町)を本貫とする鎌倉幕府の御家人であるが,1224年(元仁1)田代浄心(信綱)が承久の乱の勲功によって和泉国大鳥郷(現,大阪府堺市西区鳳地区)地頭職を拝領した。信綱以降は本貫の田代郷は義綱-景綱-実綱と相伝し,大鳥郷は清綱-通綱-家綱-基綱-顕綱と相伝している。大鳥郷は摂関家大番舎人の存在するところで,13世紀の中ごろには室町院領の荘園となっている。大鳥荘を相伝した田代氏は,この地を拠り所として,荘園領主や在地勢力(大番舎人,有力名主層)とはげしい戦いを展開するなかで,自己の領主制を発展させていった。85年(弘安8)雑掌との間で和与が成立し,1311年(応長1)には下地中分が行われた。このときの中分は坪分けであった。中分によって地頭方となった下地に,摂関家大番領が含まれていたところから,荘園領主と地頭との中分を認めない大番舎人がはげしく反抗し,地頭田代氏と抗争することとなった。鎌倉末期から南北朝期にかけて大番舎人らは,近隣の勢力と結んでいわゆる悪党と化して地頭田代氏に抵抗した。南北朝動乱期には田代氏は足利方にくみし,各地の戦闘において戦功をあげるとともに,悪党鎮圧に奔走している。室町時代の《田代文書》には地頭方の土地帳簿類が多くみられ,また,多数の土地売券等もあり,地頭田代氏の在地支配が一定の展開をとげていたことをうかがわせる。戦国期に入ると,大鳥荘の地頭であった田代氏は,摂津国から台頭してきた戦国大名有馬氏の家臣となる。近世には有馬氏は1620年(元和6)筑後久留米に封ぜられたが,田代氏もこれに従って久留米に移り,明治維新に至っている。現存する《田代文書》は大鳥荘地頭職を相伝した田代氏の伝来文書である。現在,原文書は東京国立博物館に保管されており,影写本が東京大学史料編纂所と京都大学文学部国史研究室にある。影写本は平安時代末から室町期にいたる文書・系図等343点が9冊におさめられている。西遷御家人の畿内における文書として稀有(けう)のもので,たいへん貴重である。
執筆者:福田 榮次郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報