日本歴史地名大系 「田和村」の解説 田和村たわむら 京都府:福知山市田和村[現在地名]福知山市字田和牧(まき)川の支流田和川の上流に位置し、四周を山に囲まれる。寺社方覚帳(威光寺文書)に「川北保田和 小田 領主伯々部氏の知ル所ト云云、不詳」とある。また同書の佐々岐(ささき)庄内の村々を記したなかに「田和村 田和村支宮垣村 田和村支梅谷村 田和村支猪野々村」とあるところからみると、中世末―近世初期の田和村は以上四ヵ村を含み、かなり広範囲を占めていたらしい。江戸時代の田和村について「丹波志」は高二八〇石、民家六〇余戸とし、「田和宮垣ノ弐ケ村入口、村ノ内ニ在、二ケ村ケ谷奥弐ケ村ノ間ミツカ嶺、有牛馬道」とある。福知山藩領。宮垣(みやがき)村との間の富国(ふこく)山は銀・銅を産出した。 田和村たわむら 兵庫県:佐用郡上月町田和村[現在地名]上月町福中(ふくなか)蔵垣内(くらがいち)村の北東、山間の谷間に立地する。狭い谷川と道の両側の山裾には石垣の棚田が連なる。江戸時代の領主の変遷は寛永一七年(一六四〇)までは上月村に、以後は平尾(ひらお)村に同じ。正保郷帳に村名がみえ、田方一五〇石余・畠方四四石余。元文四年(一七三九)の旗本松井氏平福領一揆の際、当村も天狗回状に連判し参加している(田住家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by