田海村(読み)とうみむら

日本歴史地名大系 「田海村」の解説

田海村
とうみむら

[現在地名]川内市田海町たうみちよう城上町じようかみちよう、薩摩郡東郷とうごう藤川ふじかわ

ちゆう中郷ちゆうごう村の北にある。東部を田海たうみ川が蛇行しながら南へ流下し、南東端を流れる川内川に入る。東はとう斧淵おのぶち村・宍野ししの(現東郷町)、西は高城たき郡城上村、南の川内川対岸は白浜しらはま村。年未詳一一月一〇日の薩摩出水公方向用途支配注文(清色亀鑑)には「田海分八町」とみえ、公方向用途として一貫三三六文を割当てられていた。江戸時代には東郷に属した。寛永六年(一六二九)知行替に伴い田海村一千二八三石余が島津久元(宮之城島津氏)に宛行われ、ただしこのうち七五〇石は新八郎高に入れるとされた(「知行目録」島津尚久系図)


田海村
とうみむら

[現在地名]青海町田海

西の寺地てらじ村から坂を下り、田海川を渡ったところに立地し、主として北陸道の両側集落があり、田海川の沖積平野と日本海砂丘上に立地する農漁村。田海平野へ南から延びる微高地状の舌状台地の先端、今村いまむら新田大角地おがくち遺跡がある。縄文から弥生・古墳時代にかけて海・山に近く採取食糧も豊富で、好適な居住地であったと思われる。昭和三四年(一九五九)電化社田海工場の建設に際し、古代の水田遺構が出土した。この一帯は地盤沈下地帯だが、その後河川氾濫土砂がかぶさったものと考えられる。

正保国絵図に高六二一石余、天和三年郷帳に高五七四石四斗余、うち山高二石二斗九升七合、塩高八斗四升五合とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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