日本歴史地名大系 「田郡」の解説
田郡
まんだぐん
- 大阪府:河内国
- 田郡
河内国北部に位置した郡。「和名抄」にみえ、訓は東急本国郡部に「万牟多」、「拾芥抄」に「マウタ」(左注は「茨」に「マム」と付す)とあるが、のち転訛して「マッタ」「マンダ」といわれるようになり、近代の郡名は「マンダ」(内務省地理局編纂「地名索引」)。東は
〔古代〕
郡名の初見は「日本書紀」宣化天皇元年条で「河内国の茨田郡の屯倉」とあるが、この時期は国郡制以前の段階であるから書紀編纂時の修飾である。したがって霊亀二年(七一六)以前の編纂と推定される「播磨国風土記」が最も早く、播磨国揖保郡枚方里の項目において「河内国茨田郡の枚方里の漢人きたりて」という地名起源説話を記す。しかし茨田の地名は「日本書紀」「古事記」に散見する。まず「日本書紀」仁徳天皇一一年条に北の河(淀川)の水害を防ぐため新羅人を使役して茨田堤を築き、その二年後に茨田屯倉を設けたと記す。「古事記」仁徳天皇段では「秦人を役だちて茨田堤及び茨田三宅を作る」とある。この茨田連は「古事記」神武天皇段と「日本書紀」継体天皇元年・天武天皇一三年の両条にもあり、継体天皇の娘に茨田皇女(茨田郎女)がある。また「日本書紀」皇極天皇二年の条には茨田池が記されている。こうした記紀にみえる記事は、沖積平野の形成が進行中の段階にある河内の平野部において山城盆地から
茨田郡の成立過程は明らかではないが、交野郡
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報