男体山頂遺跡(読み)なんたいさんちよういせき

日本歴史地名大系 「男体山頂遺跡」の解説

男体山頂遺跡
なんたいさんちよういせき

[現在地名]日光市中宮祠

男体山頂にある奈良時代から近世に至る祭祀遺跡。明治一〇年(一八七七)男体山に登ったアメリカ人の動物学者E・S・モースは、古銭・槍の穂先などが散乱していたことから遺跡の存在を知り、「日本その日その日」に遺跡の様子を記している。大正一三年(一九二四)・昭和三四年(一九五九)の二度発掘調査され、山岳信仰にかかわる六千点を超える多量の遺物が出土した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「男体山頂遺跡」の意味・わかりやすい解説

男体山頂遺跡
なんたいさんちょういせき

栃木県日光市中宮祠(ちゅうぐうし)男体山頂にある仏教信仰遺跡。782年(延暦1)勝道上人(しょうどうしょうにん)によって登拝の道が開かれたと伝えられる日光連山の中心峰男体山(2486メートル)は山岳霊場として仏徒の信仰を集めた。1924年(大正13)最初の調査が、ついで59年(昭和34)山頂の太郎山神社の北西岩間に再調査がそれぞれ実施され、多量の出土品をみた。これらのなかには鏡鑑134面、銅印七顆(か)をはじめ、錫杖(しゃくじょう)頭、法具、鉄製利器、農工具、飾金具(かざりかなぐ)、玉類、土師器(はじき)、陶器などが含まれている。ことに銅印は前回の四顆とあわせ11顆を出土している。また鏡は和鏡が多いが、一面の漢式鏡(かんしききょう)(二神二獣鏡)が含まれている。調査からの所見は文献上の開山伝承を否定するものではなく、平安時代~鎌倉時代における男体山頂霊場の盛行を示すものであった。その後、江戸時代まで修験道(しゅげんどう)による信仰が行われていた。出土品は日光二荒(ふたら)山神社宝物館に陳列されている。

[大金宣亮]

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