畳屋町(読み)たたみやまち

日本歴史地名大系 「畳屋町」の解説

畳屋町
たたみやまち

[現在地名]臼杵市臼杵 畳屋町

よこ町の東から南に位置し、南は町・仁王座におうざ村。南西から北東方向に走る長さ一町四六間の通りを中心に両側町をつくる。町名は畳屋順古に由来するという(「臼杵博識誌」臼杵藩政史料)。文禄二年(一五九三)の臼杵庄惣町屋鋪検地帳写(渡辺家文書)に臼杵畳屋町とみえ、高一二石余、屋敷地四四筆のほかに五筆の畑地があり、名請人は三九人。慶長一一年(一六〇六)の惣御高頭御帳では高一八石余。


畳屋町
たたみやちよう

[現在地名]近江八幡西畳屋町にしたたみやちよう東畳屋町ひがしたたみやちよう

京街道きようかいどう通に沿い、間之あいの町の東に続く横町で、永原町ながはらちよう通と博労町ばくろうちよう通の間が西畳屋町、その東に続き八幡町東端の慈恩寺町じおんじちよう通までを占めるのが東畳屋町。「輿地志略」では西畳屋町一町・東畳屋町一町とある。八幡城下形成時に畳大工職人の集住する町として成立。文禄三年(一五九四)八月二五日八幡城主京極高次は当町の畳職人の地子を免じているが(「五畿内並近江六ヶ国大工杣木挽御朱印旧記写」近江八幡市共有文書)、元禄期(一六八八―一七〇四)以降の畑屋敷高は東西両町とも一石余で、地子の免除はなかった(「八幡町屋敷畑高覚帳」同文書)


畳屋町
たたみやちよう

中京区蛸薬師通大宮東入

東西に通る蛸薬師たこやくし(旧四条坊門小路)を挟む両側町。町の中央を南北黒門くろもん通が通る。

平安京条坊では、左京四条二坊一保二町南及び同二保三町北の地。平安中期以降は、猪熊四条坊門小路の西にあたる。


畳屋町
たたみやまち

[現在地名]和歌山市畳屋町

ほん町七丁目東側に並行する通りの両側町。東側の町裏武家屋敷地で、北は新魚しんぎよ町に続く。元禄一三年(一七〇〇)の和歌山城下町絵図には町の東西両方に「たたみや」とあり、その頃は畳屋が集住していたと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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