白井遠平(読み)しらい・えんぺい

朝日日本歴史人物事典 「白井遠平」の解説

白井遠平

没年:昭和2.10.9(1927)
生年:弘化3.4.29(1846.5.24)
明治大正期の政治家,実業家下野国(栃木県)真岡で生まれる。父は佐藤幸助,母はきよ安政3(1856)年,父が家族とともに陸奥国磐城郡上小川村(福島県いわき市)の名主白井家に入り同家を継いだ。平藩儒臣神林復所の塾に学ぶ。明治10(1877)年河野広中と共に民会規則を作成し,また,地元平に政治団体興風社を設立して社長を務めた。14年の自由党創立協議会に参加はしたものの,自らは改進党員と称した。県会議員として県令三島通庸と対立し,投獄される。第1回衆院議員選挙に当選(大成会所属)したが,2回目に落選したのち常磐炭田開発に実業家として貢献した。大正初期に議員に返り咲いている(政友会所属)。<参考文献>高萩精玄『福島人物の歴史・10/白井遠平』

(長井純市)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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