白岩城跡(読み)しらいわじようあと

日本歴史地名大系 「白岩城跡」の解説

白岩城跡
しらいわじようあと

[現在地名]関宮吉井 白岩

八木やぎ川の右岸吉井よしい集落対岸尾根突端、標高二九〇メートルの地にある。山裾との比高は約七〇メートル。城域は東西約八〇メートル・南北約一〇〇メートルと小規模で、小規模な主郭(一五×九メートル)を狭い帯曲輪が取巻き、その下に三―五メートルの段差をもつ五つの帯状曲輪を配置している。主郭背後の尾根には大規模な堀切・竪堀を構築し、その東側斜面には三条の畝状竪堀を設けて防御している。主郭や曲輪の規模が小さく城域も狭いところから、地侍級の城と思われ、室町期に構築した城を戦国末期に畝状竪堀で改修したものである。

白岩城跡
しらいわじようあと

[現在地名]角館町白岩 前郷

白岩前郷しらいわまえごうの集落の東北、小高い山上にある。天正一八年(一五九〇)豊臣秀吉の命により破却された戸沢領内三五ヵ城の一つ(白岩郷土史)。頂上部は四〇〇平方メートルほどあり、馬乗うまのり小路と称される馬場跡やはや坂と称する通路もあり、途中には望楼台と思われるものが数ヵ所ある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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