東京都墨田区(すみだく)の北部、隅田(すみだ)川左岸にある都立公園で向島百花園(むこうじまひゃっかえん)とよばれている。1804年(文化1)、仙台出身で日本橋で骨董(こっとう)屋を営んでいた佐原菊塢(さはらきくう)が万葉植物を中心に草木を集め、幕臣の多賀家屋敷跡に開園した。大田南畝(おおたなんぽ)、谷文晁(ぶんちょう)ら文人寄贈の梅樹が植えられ、初めは梅園として知られた。1938年(昭和13)東京市に寄贈、戦災にあったが1949年(昭和24)再興し、虫聞きの会、月見の会、萩(はぎ)のトンネル、正月の七福神詣(もう)でなどで知られる。面積約1万平方メートル。国の史跡・名勝に指定されている。
[沢田 清]
…これが大名の庭園にも入って,後楽園が再度改造され庭園内に草花が植えられた。また,江戸の隅田川東岸の向島(むこうじま)に町人がつくった百花園(ひやつかえん)は草花ばかりの庭園であり,しかも営業として成立したのであった。もう一つの特徴は,大名庭で庶民に開放されるものがでてきたことである。…
…1884年刊,三遊亭円朝口演《怪談牡丹灯籠》を嚆矢(こうし)とする。これは,田鎖(たくさり)綱紀の速記講習会を卒業した若林玵蔵(かんぞう)と酒井昇造との速記の効用宣伝を目的にした仕事だったが,この成功によって,《塩原多助一代記》《英国孝子之伝》など円朝の速記本をはじめ,落語,講談の速記本が相ついで刊行され,89年には東京金蘭社から落語・講談速記専門誌《百花園》も創刊され,速記本は,伝統的な話芸にとって欠かせない存在となった。【興津 要】。…
※「百花園」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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