皇慶(読み)こうげい

精選版 日本国語大辞典 「皇慶」の意味・読み・例文・類語

こうげいクヮウゲイ【皇慶】

  1. 平安中期の天台宗の僧。橘広相曾孫比叡山台密を学び、丹波池上大日寺に住む。門弟多く、その流を谷流と称した。著に「灌頂随要記」。池上阿闍梨(あじゃり)。丹波阿闍梨。谷阿闍梨。貞元二~永承四年(九七七‐一〇四九

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「皇慶」の意味・わかりやすい解説

皇慶
こうけい
(977―1049)

平安末期の天台宗の僧。俗姓は橘(たちばな)氏。谷阿闍梨(たにあじゃり)とも称する。叡山(えいざん)で静真(じょうしん)に就き、鎮西(ちんぜい)(九州)へ赴いて景雲(けいうん)に就いて密教を学ぶ。寂昭(じゃくしょう)(寂照)とともに入宋(にっそう)せんとしたが、八幡大神(はちまんおおかみ)の使いである鳩(はと)数千羽に止められて断念、脊振(せふり)山で延殷(えんいん)(968―1050)とともに修行した。のち丹波(たんば)(京都府)池上に庵居(あんきょ)し、法興院十禅師(ほうこういんじゅうぜんじ)に任ぜられた。付法(法を伝えた弟子)30余人といわれ、なかでも長宴(ちょうえん)(1016―1081)、院尊(いんそん)、安慶(あんけい)がもっとも傑出し、その法流を「谷流(たにのりゅう)」と称する。檀那院覚運(だんないんかくうん)も年長ながら参じた。永承(えいしょう)4年7月26日、叡山東塔に寂した。『灌頂随要記(かんじょうずいようき)』2巻、『胎蔵道場観私記(たいぞうどうじょうかんしき)』『護摩私記(ごましき)』などの著がある。

[中尾良信 2017年7月19日]

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朝日日本歴史人物事典 「皇慶」の解説

皇慶

没年:永承4.7.26(1049.8.27)
生年:貞元2(977)
平安中期の天台宗の僧。贈中納言橘広相 の孫,書写山性空 の甥。7歳で比叡山に登り静真のもとで密教三大部,梵字悉曇などを究めた。各地に遊行し,一時は入宋の志を抱いたこともあった。九州では東寺系の景雲から東密の秘法を受け,空海の宝瓶を授けられた。丹波国桑田郡(京都府)に庵を結んでいた万寿年間(1024~28)のころ,国守源章任 の要請天皇のための十臂毘沙門法を修し,阿闍梨となる。比叡山に戻り,東塔南谷井ノ房に住む。優れた密教僧を多く輩出し,谷流と呼ばれる法流を形成するに至る。<参考文献>大江匡房『谷阿闍梨伝』(『続群書類従』8巻下所収),『元亨釈書』5巻

(三橋正)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「皇慶」の解説

皇慶 こうげい

977-1049 平安時代中期の僧。
貞元(じょうげん)2年生まれ。橘広相(たちばなの-ひろみ)の曾孫。性空の甥(おい)。天台宗。比叡(ひえい)山で静真(じょうしん)に師事し,九州で景雲に真言密教をまなぶ。のち丹波池上(京都府)大日寺,ついで比叡山東塔井ノ房にすみ,天台密教の一派,谷流をひらいた。門弟に長宴,院尊,安慶ら。永承4年7月26日死去。73歳。通称は谷阿闍梨(あじゃり),池上阿闍梨。諡号(しごう)は慈応。著作に「灌頂(かんじょう)随要記」など。

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