覚運(読み)カクウン

デジタル大辞泉 「覚運」の意味・読み・例文・類語

かくうん【覚運】

[953~1007]平安中期の天台宗の僧。京都の人。藤原貞雅の子。比叡山良源に学び、東塔檀那院に住し、恵心流と並ぶ檀那流開祖となった。著「玄義鈔」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「覚運」の意味・わかりやすい解説

覚運
かくうん
(953―1007)

平安中期の天台宗の僧。京都の人で、藤原貞雅(ふじわらのさだまさ)の子。慈慧大師(じえだいし)良源に学び、叡山(えいざん)東塔の檀那院(だんないん)に住して教学を講説した。西塔慧心院(えしんいん)の源信(げんしん)と並び称され、両者の法系である檀那流と慧心流の両流は、天台宗学の二大流派となった。また、30歳に満たない谷阿闍利皇慶(たにあじゃりこうけい)に密教を学び、秘密灌頂(ひみつかんじょう)を受ける。1003年(長保5)12月、一条(いちじょう)天皇の詔(みことのり)により大極殿(だいごくでん)仁王会(にんのうえ)の総導師を管し、少僧都(しょうそうず)に任ぜられた。その後しばしば宮中に召されて法要を説き、詔によって僧正(そうじょう)に任ぜられた。寛弘(かんこう)4年11月1日(一説に10月30日)示寂。世に檀那僧都(僧正)と称された。『玄義鈔(げんぎしょう)』『円頓戒勘文(えんどんかいかんもん)』『草木発心修行成仏義(そうもくほっしんしゅぎょうじょうぶつぎ)』『四種三昧(ししゅさんまい)私記』『三観義(さんかんぎ)私記』などの著作がある。

[中尾良信 2017年6月20日]

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改訂新版 世界大百科事典 「覚運」の意味・わかりやすい解説

覚運 (かくうん)
生没年:953-1007(天暦7-寛弘4)

平安中期の天台宗延暦寺の僧。藤原南家の春宮少進貞雅の子。慈慧僧正良源の弟子として才名があり,念仏につとめ,後に密教を静真・皇慶に学び,また唯識因明にも通じた。一条天皇や藤原道長の知遇を得て,〈仏法の棟梁,国家の珍宝〉と讃えられ,源信と並び称せられた。比叡山東谷檀那院に住んだので,覚運の門流を檀那流と呼び,後に源信の恵心流とともに天台教学の二大流派とされるようになった。1003年(長保5)少僧都,05年権大僧都,没後僧正追贈。著書の多くは散逸し,現存するものは《観心念仏》《念仏宝号》など数編にすぎない。
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朝日日本歴史人物事典 「覚運」の解説

覚運

没年:寛弘4.10.30(1007.12.12)
生年天暦7(953)
平安中期の天台宗の僧侶。藤原貞雅の子。比叡山延暦寺良源の弟子となり天台教学を学んだ。広学竪義(延暦寺の重要な学問行事で法華経の教説に関する論議問答)に竪者(義を立て問者の質問に答える役)となり,さらにのちには精義者(質疑応答の判定者)に選ばれて才学を振るった。やがて彼は真言密教を静真,皇慶に学び一派を形成する。彼が比叡山東塔南谷の檀那院に住していたことからその系統は檀那流と呼ばれ,特に源信の恵心流と対比的に理解されがちであるが,それは鎌倉時代に起こった法系の反映にすぎない。しかし彼は源信と異なり天皇や藤原道長などの貴族と密接な関係を保ったことも事実で,さまざまな法会の講師や経論の進講などを勤め,「仏法の棟梁,国家の珍宝」と重んじられ昇進の道を歩んだ。没後には権僧正を追贈されている。<参考文献>井上光貞『日本浄土教成立史の研究』

(小原仁)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「覚運」の解説

覚運 かくうん

953-1007 平安時代中期の僧。
天暦(てんりゃく)7年生まれ。天台宗。比叡(ひえい)山で良源に師事。叡山東塔の檀那(だんな)院で教学を講説し,横川(よかわ)恵心(えしん)院の源信とならび称された。寛弘(かんこう)2年一条天皇に「法華経疏」を進講して権大僧都となる。のちその法系は檀那流とよばれた。寛弘4年10月30日死去。55歳。京都出身。通称は檀那僧都。著作に「玄義抄」。

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