直谷城跡(読み)なおやじようあと

日本歴史地名大系 「直谷城跡」の解説

直谷城跡
なおやじようあと

[現在地名]吉井町直谷免

福井ふくい川右岸の内裏だいり(一六七メートル)に築かれた中世の城館の跡。県指定史跡。史料上は内裏山だいりやま城とも称される。寛治二年(一〇八八)松浦まつらに下向した安倍宗任の次男の源次郎の築城とも、平家残党に擁立された安徳天皇が隠棲したところともいう。また松浦氏祖の源久の孫という松浦清の次男で志佐氏の初代である貞が居城していたとされる。寛元二年(一二四四)四月二三日の関東裁許状(山代文書)御家人の志佐六郎貞がみえるほか、弘安四年(一二八一)志佐小次郎祝は蒙古合戦証人として証言(同年八月一〇日「肥前国守護北条時定書下」同文書)、同六年には志佐三郎入道継が同じく証言を命じられた(同年三月二二日「肥前国守護北条時定書下」同文書)。祝は鎮西探題使節として活躍している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報