デジタル大辞泉 「相田暢一」の意味・読み・例文・類語 あいだ‐ちょういち〔あひだチヤウイチ〕【相田暢一】 [1921~2012]北海道の生まれ。昭和18年(1943)早稲田大学在学中に、学徒出陣を控えた選手による早慶戦の開催に尽力。戦後は日本学生野球協会や全日本大学野球連盟の理事などを歴任、野球界の発展に貢献した。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「相田暢一」の解説 相田暢一 あいだ-ちょういち 1921-2012 昭和-平成時代の野球功労者。大正10年5月生まれ。早大野球部に入部したが,肩を壊しマネジャーに転向。昭和18年,学徒出陣をひかえた選手による「最後の早慶戦」開催に奔走。また,大量のバットやボールをかき集めて戦後の野球復興につなげた。戦後,学生だったが21-22年早大の監督に就任。のちアマチュア野球の審判や連盟役員をつとめた。平成24年4月30日死去。90歳。26年特別表彰で野球殿堂入り。北海道出身。早大卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例