日本の城がわかる事典 「真田本城」の解説 さなだほんじょう【真田本城】 長野県上田市(旧小県郡真田町)にあった山城(やまじろ)。戦国時代に真田氏が本城としていたとされる城。築城年代は不明。天文年間(1532~53年)に真田幸隆により築城されたといわれてきたが、発掘調査の結果、鎌倉時代の遺構も見つかっており、真田氏以前にも山城として存在していた可能性が指摘されている。武田晴信(武田信玄)の部将となった真田幸隆が1551年(天文20)に村上義清の支城である戸石城(上田市上野)を奪って、かつての本領(真田郷)を回復した後、この城を整備し、のちに居城を上田城(上田市二の丸)に移すまで、幸隆・信綱・昌幸の真田氏3代にわたって本城としたとされる城である。この城を中心に、付近には多数の山城が支城として配置されていた。ただし、本城と呼ばれるものの、真田家の当主が居城として使用していたかどうかは、あくまでも推定の域を出ない。また、この城は戦時用の城として使われ、真田氏は平時、麓の真田氏館(上田市。現在、御屋敷公園となっている)で政務を執っていたともいわれる。真田昌幸は1583年(天正11)に上田城を築城開始し、2年後の1585年(天正13)に本城を移した。それに伴い、真田本城は廃城となった。城跡には現在、主郭を含む曲輪(くるわ)群、主郭背後の土塁、堀切などの遺構が残っている。JR長野新幹線・しなの鉄道・上田電鉄上田駅からバス。◇松尾城、真田城、住蓮寺城とも呼ばれる。ただし、鳥越峠にもう一つの松尾城が真田氏の支城として存在していたため、真田本城を松尾城と呼ぶ際には、この支城は「松尾古城」と呼ばれることが多い。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報