鎌倉時代の武家の職名で,本官の代理の職すなわち代官をさす言葉として用いられた。多く守護代・地頭代の別称として用い,その耳目に代わる意から,国司の目代(もくだい)と区別するために眼代と呼ばれた。《武家名目抄》には〈眼代を目代といふに同しく人の耳目に代るのこころなり。……鎌倉殿の時には国司の代官を目代と称せし故にそれと名称のまきれん事をいとひて武家には代官の事を眼代とよはれしなり〉とあり,その由来が示されている。眼代の設置の史料としては,土肥実平,梶原景時が巡国の惣追捕使となり,その代官として眼代を補置したとある《吾妻鏡》(文治1年(1185)4月26日条)の例が早いものである。以後同書には伊勢国沼田御厨地頭畠山重忠の眼代の事例(文治3年6月29日条)など守護や地頭の代官として眼代の呼称が多く散見する。室町期になると国司制度の形骸化にともない目代の意義が少なくなり,眼代を目代と称することもあった。
執筆者:関 幸彦
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