日本歴史地名大系 「知名村」の解説 知名村ちなーむら 沖縄県:沖縄島南部知念村知名村[現在地名]知念村知名(ちな)・海野(うみの)・久原(くはら)安座真(あざま)村の北に位置し、東部から北部にかけては海に臨む。西部に須久名(すくな)山がある。北東部の知名(ちな)崎にある知名(ちな)グスクは知名地頭の内間大親が居を構えた地で、国王の東御廻りの折には休憩所となった。同居宅は尚豊王の代に知念(ちねん)グスクに移され、知念御殿と称された(遺老説伝)。「おもろさうし」巻一九の二〇に「一 ちにや まけな(知名のマケナ〔人名〕は)/いきやあるすちや おてか(如何なる人がいるからか)/なみしく いくまちへ こかせ(櫂を速めて漕がせよ)/又 ちにや まけな(知名のマケナ)/いきやるいつこ おて(どの様な人がいて)」とある。 知名村じんにやむら 鹿児島県:大島郡知名町知名村[現在地名]知名町知名(ちな)沖永良部(おきのえらぶ)島の南西部に位置し、海に面する。集落は大(ふう)山南麓の隆起珊瑚礁の段丘上と緩斜面に形成される。地名のジンニャは焼畑地名キナに由来するという(沖永良部島地名考)。集落後方に琉球王が居城したといわれるグスクマーがあり、南西の高台には漂着した老人を祀った神山がある。正保琉球国絵図に「徳時間切之内ぢな村」とみえる。寛文八年(一六六八)の琉球国郷帳には徳時(とうどうき)間切のうち「ちな村」と記される。元禄年間(一六八八―一七〇四)以降は喜美留(ちびる)間切のうちで、安政四年(一八五七)からは東(ひがし)方に属した。寛延二年(一七四九)頃、当村下に唐船一艘が漂着、破船しており、乗組員一七人は和泊(わどまい)村(現和泊町)の本御蔵のうちに囲い置き、のち与人らが琉球まで送り届けている(沖永良部島代官系図)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by