石井藤吉郎(読み)イシイトウキチロウ

デジタル大辞泉 「石井藤吉郎」の意味・読み・例文・類語

いしい‐とうきちろう〔いしゐトウキチラウ〕【石井藤吉郎】

[1924~1999]野球選手監督茨城の生まれ。戦後早大社会人野球活躍。昭和39年(1964)から早大の監督となり優秀な選手を輩出。同47年第1回日米大学野球全日本の監督としてチーム優勝に導いた。

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20世紀日本人名事典 「石井藤吉郎」の解説

石井 藤吉郎
イシイ トウキチロウ

昭和期の社会人野球選手,大学野球監督 大洗シーサイドホテル代表取締役;元・早稲田大学野球部監督。



生年
大正13(1924)年3月16日

没年
平成11(1999)年6月30日

出生地
茨城県東茨城郡大洗町

学歴〔年〕
早稲田大学〔昭和26年〕卒

経歴
水戸商を経て、昭和18年早大に入学。19年学徒出陣満州終戦を迎え、シベリアで2年間抑留される。22年帰国し、23年復学。投手兼外野手として神宮優勝4度に貢献。25年主将を務め、春には首位打者。26年大昭和製紙に入社し、28年都市対抗全国制覇。31年外野手として世界選手権に出場。34年水戸商の監督を務め、35年夏の甲子園に導いた。39年Bクラスに低迷していた早大に請われて監督に就任、10年間で5回優勝。第1回日米学生野球大会でも優勝。55年全日本チーム監督となり、同年世界アマ野球選手権2位。平成7年野球殿堂入り。茨城県大洗町のホテル社長も務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石井藤吉郎」の解説

石井藤吉郎 いしい-とうきちろう

1924-1999 昭和時代後期の野球選手,監督。
大正13年3月16日生まれ。学徒出陣ののち,昭和23年早大に復学。投手兼外野手として東京六大学野球で4度優勝。大昭和製紙にはいり,28年都市対抗で優勝。39年早大監督に就任し,11年間で5回優勝。47年第1回日米大学野球大会で優勝。大学野球の発展につくした。平成7年野球殿堂入り。平成11年6月30日死去。75歳。茨城県出身。

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367日誕生日大事典 「石井藤吉郎」の解説

石井 藤吉郎 (いしい とうきちろう)

生年月日:1924年3月16日
昭和時代;平成時代の社会人野球選手;大学野球監督
1999年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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