日本大百科全書(ニッポニカ) 「石内都」の意味・わかりやすい解説
石内都
いしうちみやこ
(1947― )
写真家。群馬県新田(にった)郡生まれ。1970年(昭和45)多摩美術大学美術学部デザイン科染織デザイン専攻中退。1977年の「絶唱・横須賀ストーリー」や翌1978年の「アパートメント」などの個展で注目され、1979年木村伊兵衛写真賞受賞。1999年(平成11)には写真の会賞、東川(ひがしかわ)町国際写真フェスティバル国内作家賞受賞。海外での評価も高く、MoMA(ニューヨーク近代美術館)などに作品が収蔵される。ニューヨーク、グッゲンハイム美術館「戦後日本の前衛美術」展(1994)、フランクフルトのクンストフェライン(会員組織によって運営されている展示スペース)「Prospect '96」展(1996)、水戸芸術館「しなやかな共生」展、東京都現代美術館「時間/視線/記憶――90年代美術における写真表現」展(ともに1997)、国立国際美術館「芸術と環境 エコロジーの視点から」展(1998)など、多くの国内外での国際展に招待されている。また、写真家楢橋(ならはし)朝子(1959― )とともに写真雑誌『main(マン)』(1996~ )を創刊するなど、旺盛な活動を繰り広げている。1999年には東京国立近代美術館フィルムセンターで個展「モノクローム――時の器」展が開催された。
20年以上におよぶ石内の作品は大別して二つの作品群に分けられる。一つは三部作である写真集『アパートメント』(1978)、『絶唱・横須賀ストーリー』(1979)、『連夜の街』(1981)までの初期の作品群。もう一つは1990年に発表した『1・9・4・7』、舞踏家大野一雄を撮った『1906 to the skin』(1994)や詩人の伊藤比呂美(ひろみ)(1955― )を撮った『手・足・肉・体』、男性の身体を接写した『さわる』(ともに1995)そして男性の身体に刻まれた傷をテーマにしたシリーズ「scars」、母の遺品を撮った『Mother's』(2002)など近年の作品群である。
この二つの作品群を比べてみると、確かに彼女の作風はドラスティックに変わったようにみえる。初期の三部作は風景で、いかにも1960年代から1970年代の時代風潮を思わせる、粒子の荒い不安定な構図を用いて、感情に訴えかけるドラマチックな作品に仕上がっている。対して『1・9・4・7』からは被写体は身体になり、接写によって撮られた身体は正面からかっちりと、肌もきめ細かく細部まで描写されている。これら二つの作品群は一つのものを表現している。それは「記憶」である。
石内の写真は、被写体の原寸以上に大きく引き伸ばされ、白から黒へのグラデーションに変換されて、接写された手や足や傷や皮膚は体毛の一つ一つ、かさぶたの一つ一つ、しみや弛(ゆる)みがさざ波のように美しくみえる。古びた洋館の軒先にかかる看板や、剥げかけた古い壁、陽光が差し込む廊下が切り取られる。写されているのは身体の表面、肌の表面、街の表面、建物の表面である。石内が被写体の表面にみるのは、その表面をそのような形状にした、記憶である。それは歴史といい換えてもよい。そこに宿る記憶は、優しいものでもただ懐かしいものでも、戻りたいものでもセンチメンタルな感傷を喚起するものでもなく、その人やその風景に厳然と逃れ難くある記憶なのである。
[笠原美智子]
『『アパートメント』(1978・写真通信社)』▽『『絶唱・横須賀ストーリー』(1979・写真通信社)』▽『『連夜の街』(1981・朝日ソノラマ)』▽『『水道橋――東京歯科大学永遠のモニュメント』(1981・一世出版)』▽『『1・9・4・7』(1990・アイピーシー)』▽『『モノクローム』(1993・筑摩書房)』▽『『1906 to the skin』(1994・河出書房新社)』▽『『手・足・肉・体――Hiromi 1995』(1995・筑摩書房)』▽『『さわる――Chromosome XY』(1995・新潮社)』▽『『Yokosuka again 1980-1990』(1998・蒼穹舎)』▽『『爪』(2000・平凡社)』▽『『連夜の街――Endless Night 2001』(2001・ワイズ出版)』▽『『Mother's』(2002・蒼穹舎)』▽『「私という未知へ向かって 現代女性セルフ・ポートレイト」(カタログ。1991・東京都写真美術館)』▽『「モノクローム――時の器」(カタログ。1999・東京国立近代美術館)』