石原裕次郎(読み)イシハラユウジロウ

デジタル大辞泉 「石原裕次郎」の意味・読み・例文・類語

いしはら‐ゆうじろう〔‐ユウジラウ〕【石原裕次郎】

[1934~1987]映画俳優・歌手。兵庫の生まれ。芥川賞作家石原慎太郎の弟。映画「太陽の季節」でデビュー。「狂った果実」「嵐を呼ぶ男」などで一躍スターとなる。歌手としても「銀座の恋の物語」などの主題歌や「夜霧よ今夜も有難う」などで人気を博した。

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「石原裕次郎」の解説

石原 裕次郎
イシハラ ユウジロウ


職業
俳優

肩書
石原プロ代表取締役

生年月日
昭和9年 12月28日

出生地
兵庫県 神戸市須磨区大手町

学歴
慶応義塾大学法学部〔昭和31年〕中退

経歴
神戸で生まれ、3歳のとき山下汽船の社員であった父の転勤で小樽に移り住む。さらに小学校2年の時には父が同社の重役となったため、神奈川県逗子に転居し、湘南で青春時代を送った。高校時代はバスケットボールに打ち込むが、練習中に左足を怪我して選手を断念。またこの頃にはヨットにも熱中し、生涯を通じての趣味となった。昭和28年慶応義塾大学文学部に進学。31年同大を中退し、俳優となるため大手映画会社のオーディションを受け、日活のプロデューサーであった水の江滝子の眼に止まり、兄・石原慎太郎が書いたベストセラー小説の映画化「太陽の季節」で俳優デビュー。この時は端役としての出演であったが、いわゆる“太陽族”を地で行く生き様とダイナミックな魅力が注目され、同年の中平康監督「狂った果実」では、原作者の慎太郎が彼を主演とすることを条件に映画化を許可したという経緯もあって主役に抜擢された(共演はのちに夫人となる北原三枝)。同作では慎太郎作詞、佐藤勝作曲による同名の主題歌も歌い、歌手としてもデビューを果たしている。以後、“太陽族”から孤独な若者というイメージに転換して青春ものからアクションまで縦横に活躍、32年の蔵原惟繕監督「俺は待ってるぜ」、井上梅次監督「嵐を呼ぶ男」、33年の舛田利雄監督「錆びたナイフ」などが空前のヒットとなり、同世代の若者を中心に強い支持を得た。35年北原三枝(石原まき子)と結婚。やがて年齢的なものもありハードなアクションから離れ、蔵原監督「銀座の恋の物語」「憎いあンちくしょう」、舛田監督「花と竜」、野村孝監督「夜霧のブルース」などメロドラマ、ムードアクション、文芸ものなどを意欲的に演じるようになった。38年石原プロモーションを設立してからは製作も手がけるようになり、同年第一作として市川崑監督、自身主演の「太平洋ひとりぼっち」を製作。これは堀江謙一のヨットによる太平洋横断記を原作としたもので、石原の2時間余りに及ぶ一人芝居や市川の演出も高く評価され、芸術祭賞を受賞した。43年には三船プロと共同で製作した石原、三船敏郎滝沢修佐野周二、高峰三枝子ら新旧スター大共演による熊井啓監督「黒部の太陽」が大ヒット。その他にも同プロで「城取り」「栄光への5000キロ」「富士山頂」「ある兵士の賭け」「影狩り」などをプロデュース及び主演している。47年日本テレビ系列の「太陽にほえろ!」を製作・出演して以降は活動の中心をテレビに移し、同作を15年以上続くロングヒット作としたほか、「西部警察」「大都会」などの刑事ものを手がけて人気を集めた。56年胸部大動脈瘤の発作を起こし、一時は生命を危ぶまれたが回復し、活動を再開。しかし61年にはレギュラー番組を降板し、62年7月死去。晩年は「太陽にほえろ!」における藤堂係長の“ボス”という愛称で知られる通り、重厚で堂々たる役柄が多かった。平成2年映画殿堂入り。9年昭和を代表する3大スーパースターの一人として郵便記念切手となった。他の代表的な映画出演作に井上梅次監督「勝利者」「夜の牙」「明日は明日の風が吹く」、田坂具隆監督「乳母車」「陽のあたる坂道」、川島雄三監督「幕末太陽伝」、蔵原監督「風速40米」、中平監督「紅の翼」「あいつと私」、舛田監督「赤いハンカチ」、ケン・アナキン監督「素晴らしきヒコーキ野郎」など。歌手としての代表曲に「嵐を呼ぶ男」「銀座の恋の物語」「夜霧よ今夜もありがとう」「勇者たち」「ブランデーグラス」などがある。11年の13回忌法要には約20万人、21年の23回忌法要には約12万人が訪れるなど、多くのファンに愛され続けている。

受賞
エランドール賞〔昭和31年〕,ブルーリボン賞新人賞(第8回 昭和32年度),ブルーリボン賞企画賞(第14回 昭和38年度),日本レコード大賞特別賞(第9回・17回・29回)〔昭和42年・50年・62年〕,ゴールデン・アロー賞話題賞(第19回 昭和56年度),日本有線大賞特別賞(第14回)〔昭和56年〕,日本レコード大賞ロング・セラー賞(第23回)〔昭和56年〕「ブランデー・グラス」,日本有線大賞特別賞(第14回)〔昭和56年〕,日本ゴールドディスク大賞(第2回 ベストアルバム賞・ベストアーティスト賞)〔昭和62年〕,ゴールデン・アロー賞特別功労賞(第25回)〔昭和63年〕,毎日映画コンクール特別賞(第42回 昭和62年度),ブルーリボン賞特別賞(第30回 昭和62年度)〔昭和63年〕,日本アカデミー賞会長特別賞(第11回)〔昭和63年〕

没年月日
昭和62年 7月17日 (1987年)

家族
兄=石原 慎太郎(東京都知事・作家),妻=石原 まき子(女優 芸名=北原三枝)

伝記
昭和歌謡映画館―ひばり、裕次郎とその時代裕次郎時代ベストフレンド―裕次郎・青春のレクイエムひばり裕次郎 昭和の謎石原裕次郎の贈りもの石原裕次郎―日活映画秘蔵写真館我が、石原裕次郎―友だけが知る熱き心と素顔石原家の人びと素顔の石原裕次郎 ここだけの話石原裕次郎 歌伝説―音づくりの現場から裕次郎がいた!石原裕次郎 素顔の青春―42年ぶりに甦る幻の本裕次郎と日活アクション―平凡特別編集20世紀のビッグスタア〈2〉スター誕生―ひばり・錦之助・裕次郎・渥美清そして新・復興期の精神告白の記 逢いたい―夫・石原裕次郎と生きて…妻の日記―夫・石原裕次郎の覚悟裕さん、抱きしめたい―亡き夫・石原裕次郎への慕情の記石原裕次郎 男の世界太平洋の果実 石原裕次郎の遺したもの我が、石原裕次郎―だれも書かなかったスター伝説20世紀日本人に最も愛された男―Requiem裕次郎太平洋の果実―石原裕次郎の下で友よ―太陽族 裕次郎の素顔日本のアクション映画―裕次郎から雷蔵まで俺の裕次郎―60年代が眩しいぜ誰も書かなかった石原裕次郎裕ちゃん生命(いのち)ありがとう―浮生夢のごとし裕次郎讃歌石原裕次郎―日活映画の仲間たちみんな裕ちゃんが好きだった―ターキーと裕次郎と監督たち天国の裕次郎さんへ石原裕次郎物語わが青春物語誰も書かなかった裕次郎生きてるあいつ裕次郎石原裕次郎 過ぎ去りし日々石原裕次郎―男たちの熱き心と石原軍団の伝説窓の下に裕次郎がいた―映画のコツ、人生のコツ裕次郎―きみは冬のカモメか石原裕次郎鎮魂歌(レクイエム)さらば石原裕次郎―愛と青春の輝跡石原裕次郎 歌謡特集―わが人生に悔いなし愛蔵版 石原裕次郎 岡田 喜一郎 著百瀬 博教 著山本 淳正 著吉田 司 著増田 久雄 著川野 泰彦 著石原 良純 著川野 泰彦 著高柳 六郎 著獅騎 一郎 著岡崎 洋 著マガジンハウス 編吉田 司 著石原 まき子 著石原 まき子 著石原 まき子 著川野 泰彦 著増田 久雄 著川野 泰彦 著ナイロビ会 編著増田 久雄 著山本 淳正 著西脇 英夫 著百瀬 博教 編著深見 喜久男 著小高 尊,小高 鞠子 著はかま 満緒 著水の江 滝子 著,阿部 和江 聞き書き藤田 恵子 著鈴木 義昭 著石原 裕次郎 著はかま 満緒 著ナイロビ会 編著中島 賢治 著大下 英治 著井上 梅次 著加東 康一 著濤川 栄太 著成美堂出版 編朝日新聞社 編(発行元 中央公論新社ワック青萠堂講談社PHP研究所日活,スコラマガジン〔発売〕双葉社新潮社講談社社会思想社宝文館出版ベストセラーズマガジンハウス講談社主婦と生活社主婦と生活社主婦と生活社フットワーク出版小学館報知新聞社アミカルPARCO出版日本イベントプロデューサーズアカデミー,星雲社〔発売〕社会思想社クレスト社勁文社石原プロモーション,イースト・プレス〔発売〕朝日新聞社読売新聞社文園社評伝社近代映画社マガジンハウス朝日新聞社芸文社角川書店勁文社ネスコ,文芸春秋〔発売〕全国朝日放送山手書房新社勁文社成美堂出版朝日新聞社 ’09’07’04’03’03’03’03’03’02’00’00’00’00’99’99’99’99’99’99’99’99’97’96’96’96’93’92’92’91’91’89’89’89’88’88’88’88’87’87’87’87’87’87発行)

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20世紀日本人名事典 「石原裕次郎」の解説

石原 裕次郎
イシハラ ユウジロウ

昭和期の俳優 石原プロ代表取締役。



生年
昭和9(1934)年12月28日

没年
昭和62(1987)年7月17日

出生地
兵庫県神戸市須磨区大手町

学歴〔年〕
慶応義塾大学法学部〔昭和31年〕中退

主な受賞名〔年〕
エランドール賞〔昭和31年〕,ブルーリボン賞新人賞(第8回・昭32年度),ブルーリボン賞企画賞(第14回・昭38年度),日本レコード大賞特別賞(第9回 17回 29回)〔昭和42年 50年 62年〕,ゴールデン・アロー賞話題賞(第19回・昭56年度),日本有線大賞特別賞(第14回)〔昭和56年〕,日本レコード大賞ロング・セラー賞(第23回)〔昭和56年〕「ブランデー・グラス」,日本有線大賞特別賞(第14回)〔昭和56年〕,毎日映画コンクール特別賞(第42回・昭62年度),日本ゴールドディスク大賞(第2回・ベストアルバム賞・ベストアーティスト賞)〔昭和62年〕,ゴールデン・アロー賞特別功労賞(第25回)〔昭和63年〕,ブルーリボン賞特別賞(第30回・昭62年度)〔昭和63年〕,日本アカデミー賞会長特別賞(第11回)〔昭和63年〕

経歴
湘南で育ち、高校時代はバスケットボールの選手。昭和31年、兄・慎太郎が書いた小説の映画化作品・日活「太陽の季節」でデビューし、一躍スターに。33年「嵐を呼ぶ男」は空前のヒットで裕次郎ブームを巻きおこす。代表主演作に「狂った果実」「陽のあたる坂道」「あいつと私」「銀座の恋の物語」「赤いハンカチ」など。35年北原三枝と結婚。次第にアクション物を離れ、38年石原プロ設立後は製作も手がける。47年「太陽にほえろ!」以来活動の中心はテレビに。歌手としてもヒット曲多数。56年胸部大動脈瘤の発作を起こし、一時は生命を危ぶまれたが無事回復、テレビ出演などで活動を再開。しかし61年にはレギュラー番組を降板し、以後療養につとめていたが62年7月死去。平成2年映画殿堂入り。9年昭和を代表する三大スーパースターの一人として郵便記念切手となる。11年の13回忌法要には8万人以上が参列した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「石原裕次郎」の意味・わかりやすい解説

石原裕次郎
いしはらゆうじろう
(1934―1987)

映画俳優。兵庫県生まれ。慶応義塾大学中退。在学中の1956年(昭和31)兄の石原慎太郎(しんたろう)の小説を映画化した『太陽の季節』でデビューし、昭和30年代の若者風俗を象徴する「太陽族」の名とともに一躍有名になる。同年『狂った果実』に主演し、スターにのしあがった。1957年『嵐を呼ぶ男』は空前のヒット。長い脚と甘さの中に野性味をたたえた容貌(ようぼう)で、新しいタイプのヒーローとして圧倒的な支持を得て、日活のドル箱スターとなった。低音で歌う歌も『俺は待ってるぜ』『銀座の恋の物語』『赤いハンカチ』『夜霧よ今夜も有難う』などと次々にヒットさせ一時代を画し、1967年にレコード大賞特別賞を受賞した。1963年石原プロモーションを設立し社長となり、同年の芸術祭賞の『太平洋ひとりぼっち』、1968年『黒部の太陽』などを製作し野心作を生み出した。1972年テレビ映画『太陽にほえろ!』に出演し、茶の間でも人気スターとして注目を浴びた。1987年7月17日没。

[編集部]

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百科事典マイペディア 「石原裕次郎」の意味・わかりやすい解説

石原裕次郎【いしはらゆうじろう】

映画俳優,歌手。兵庫県生れ。慶応義塾大中退。1956年に兄石原慎太郎原作の日活映画《太陽の季節》でデビュー,以後《俺は待ってるぜ》《嵐を呼ぶ男》(ともに1957年),《銀座の恋の物語》(1962年),《赤いハンカチ》(1964年)などでアクション・スター,青春スター,また歌手として活躍。1963年石原プロモーションを設立し,《黒部の太陽》(1968年)などを世に送り,後年はテレビドラマで活躍した。
→関連項目小林旭杉浦直樹

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石原裕次郎」の解説

石原裕次郎 いしはら-ゆうじろう

1934-1987 昭和時代後期の映画俳優。
昭和9年12月28日生まれ。昭和31年兄石原慎太郎原作の「太陽の季節」で日活からデビュー。つづく「狂った果実」「乳母車」でブームをよび,33年「嵐を呼ぶ男」の記録的ヒットでスターとなる。35年相手役の北原三枝と結婚。歌手としても「銀座の恋の物語」などの主題歌で人気を博した。38年石原プロを設立,後年はテレビで活躍。昭和62年7月17日死去。52歳。兵庫県出身。慶大中退。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石原裕次郎」の意味・わかりやすい解説

石原裕次郎
いしはらゆうじろう

[生]1934.12.28. 神戸
[没]1987.7.17. 東京
映画俳優。 1956年日活映画『太陽の季節』に初出演,以来若者たちの間で人気スターとなった。 63年には石原プロを創立。俳優の養成,テレビ映画の制作などに活躍した。おもな主演作品『狂った果実』 (1956) ,『俺は待ってるぜ』 (57) 。

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367日誕生日大事典 「石原裕次郎」の解説

石原 裕次郎 (いしはら ゆうじろう)

生年月日:1934年12月28日
昭和時代の俳優;歌手
1987年没

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世界大百科事典(旧版)内の石原裕次郎の言及

【活劇映画】より

…新東宝では《白線秘密地帯》(1958)の宇津井健,《黄線地帯(イェロー・ライン)》(1960)の吉田輝雄,《女王蜂》シリーズ(1960‐61)の三原葉子等々。しかし正真正銘〈活劇王国〉として栄えたのは日活で,1954年の製作再開直後から,水島道太郎,河津清三郎,三国連太郎,三橋達也らを主演に探偵活劇,犯罪活劇,暗黒街活劇がつくられ,やがて,石原裕次郎を中心に小林旭,赤木圭一郎,和田浩治を含めた〈ダイヤモンド・ライン〉なるスター路線で活劇を量産し,いわゆる〈日活アクション〉の全盛期(1950年代末から60年代末まで)を迎え,さらに宍戸錠,二谷英明,高橋英樹,渡哲也といった後続スターを生み出し,やがて60年代末からは藤竜也,梶芽衣子,原田芳雄らを中心に遊戯的青春群像を描く〈日活ニュー・アクション〉の時代に移るが,そうした流れは日活映画(にっかつ)そのものの歴史でもある。
[活劇の衰退]
 1970年代から80年代にかけて日本映画の製作本数は激減し,それとともに活劇も衰退してスクリーンからすっかり姿を消した。…

【日本映画】より

…(1)長谷川一夫(1948‐52)(2)鶴田浩二(1952‐53)(3)山村聡(1952‐65)(4)岸恵子,久我美子,有馬稲子の〈にんじんくらぶ〉(1954‐66)(5)三船敏郎(1962‐ 。東京世田谷成城)(6)石原裕次郎(1963‐ )(7)三国連太郎(1963‐65)(8)勝新太郎(1967‐ )(9)中村錦之助(のち萬屋錦之介)(1968‐ )
【時代劇と現代劇】

[サイレント映画の頂点――時代劇の全盛時代]
 日本映画は1920年代後半,量産時代に入り,年間650本ほどの作品がつくられるようになった。まだサイレントの時代であり,全盛期には7000人の弁士がいたという。…

※「石原裕次郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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