日本歴史地名大系 「石和宿」の解説 石和宿いさわしゆく 山梨県:東八代郡石和町市部村石和宿[現在地名]石和町市部甲州道中の宿場町で、江戸日本橋まで三四里六町余、西に一里一九町で甲府に至り、東の栗原(くりばら)宿(現山梨市)へは一里二〇町余(宿村大概帳)。宿の西端を笛吹川、東端を鵜飼(うかい)川が流れる。宿の東端近くにある遠妙(おんみよう)寺の前で甲州道中から鎌倉街道が分岐して鵜飼川に架かる板橋を渡って南東へ向かい、甲州道中は鵜飼川に沿って北東へ上る。鎌倉街道黒駒(くろこま)宿(現御坂町)へは二里半、西青沼(にしあおぬま)村(現甲府市)で甲州道中から分岐した駿州往還の市川大門(いちかわだいもん)宿(現市川大門町)へは四里半(同帳)。宿の成立年代は「甲斐国志」によれば慶長年間(一五九六―一六一五)という。享保九年(一七二四)の市部村明細帳(後藤博昭家文書)では町の長さ五町、町並家数八五(市部村の総数一六二)、宿村大概帳では八田(はつた)村境から川田(かわだ)村(現甲府市)境までの往還の長さ七町五二間、宿内町並東西六町余となっている。市部村明細帳の記述と分間延絵図によれば、村の東境から宿に入った所が仲(なか)町、往還の北側に高札場があり、その西が問屋場。西(にし)町の北側に本陣と脇本陣二軒があり、その西にも高札場があり、その脇の鳥居をくぐった先に八幡宮がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by