20世紀日本人名事典 「石塚重平」の解説
石塚 重平
イシヅカ ジュウヘイ
- 生年
- 安政2年10月10日(1855年)
- 没年
- 明治40(1907)年8月12日
- 出生地
- 信濃国佐久郡小諸(長野県小諸市)
- 経歴
- 父・重之助の没後、幼少より町政に参加し、副戸長・町議・郡議などを務める。自由民権運動に加わり、明治10年生地の長野県小諸で民権結社・盤鴻社を興し、以後佐久地方の民権運動を指導した。14年板垣退助らが大阪で自由党を創立すると聞き長野県同志会を代表して参加、結成と共に入党。17年同党を一旦解散し、同年小諸文武館を設立したが、飯田事件で拘引(釈放)、18年大井憲太郎らの大阪事件(朝鮮事件)に連座、資金調達者として入獄する。22年憲法発布の大赦令で出獄し、23年立憲自由党、31年憲政党、33年政友会の創立に参画、長らく幹事を務めた。27年第4回総選挙で長野県から衆院議員に当選、以後当選4回。全院委員長、33〜34年伊藤内閣の渡辺蔵相の下で官房長となる。36年伊藤博文総裁の専制に反対して板倉中らと共に政友会を除名された。37年ハワイに行き日本人会長を務め、38年帰朝後は大同倶楽部を組織する。また布施銀行取締役、小諸貯蓄銀行取締役も務めた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報