石川栄耀(読み)イシカワ ヒデアキ

20世紀日本人名事典 「石川栄耀」の解説

石川 栄耀
イシカワ ヒデアキ

大正・昭和期の都市工学者 日本都市計画学会会長;元・東京都建設局長。



生年
明治26(1893)年9月7日

没年
昭和30(1955)年9月25日

出生地
山形県

学歴〔年〕
東京帝大工科大学土木工学科〔大正7年〕卒

学位〔年〕
工学博士〔昭和24年〕

経歴
大正7年に渡米して貿易会社技師。帰国後、内務省愛知県に勤め、都市創作会を組織、名古屋市都市計画に小都市連合を提案。昭和18年東京都技師となり、東京帝大第二工学部講師を兼務。のち東京都計画課長、道路課長を歴任。21年「新首都建設の構想」を発表、戦後の首都圏計画を示唆。23年建設局長、24年「東京復興都市計画設計及解説」で工学博士。都庁では戦災復興に当たり、駅前広場や盛り場計画を推進、東京・新宿の“歌舞伎町”は彼の命名。26年退職後、東京都参与、早大工学部教授、日本都市計画学会会長を歴任。著書に「都市の動態」「国土及び都市計画」「都市計画および国土計画」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「石川栄耀」の意味・わかりやすい解説

石川栄耀 (いしかわひであき)
生没年:1893-1955(明治26-昭和30)

都市工学者。山形県出身。東大土木工学科卒。1920年都市計画法の施行と同時に都市計画愛知地方委員会技師となり,名古屋郊外の区画整理などを手がけた。のち東京に移り,第2次大戦の戦前,戦後を通じて東京の都市計画に大きな役割を果たした。戦後,生活圏をベースとした都市論,東京改造論を展開し,首都建設法(1950公布)の成立に尽力した。また,一貫して市民の交流・交歓の場を重視し,盛場と広場づくりを指導するなど独特なまちづくり活動をした。後年,早稲田大学教授となり,都市計画教育と研究体制整備を推進し,日本都市計画学会の創設者の一人となった。著書は,《都市の動態》《国土及び都市計画》《皇国都市の建設》《新首都建設構想》など多数がある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石川栄耀」の解説

石川栄耀 いしかわ-ひであき

1893-1955 大正-昭和時代の都市工学者。
明治26年9月7日生まれ。大正9年内務省にはいり,名古屋市の都市計画にたずさわる。昭和18年東京都技師となり,戦後の首都圏開発につくす。23年建設局長。のち早大教授。日本都市計画学会会長。昭和30年9月25日死去。62歳。山形県出身。東京帝大卒。著作に「都市計画および国土計画」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「石川栄耀」の解説

石川 栄耀 (いしかわ ひであき)

生年月日:1893年9月7日
大正時代;昭和時代の都市工学者。日本都市計画学学会;東京都建設局長
1955年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android