日本歴史地名大系 「石手庄」の解説
石手庄
いわでのしよう
現岩出町南部にあった
大治元年(一一二六)七月日の平為里私領寄進状案(根来要書、以下同書による)によれば、為里は那賀郡
ところで大治元年の寄進当時、覚鑁は高野山上に伝法会の再興を発願していたものの一介の聖にすぎず、為里が「致随喜」して寄進する、というのはきわめて異例である。「大伝法院本願上人霊瑞並寺家縁起」が、稲荷社の託宣を受けて覚鑁が紀ノ川の傍らで石手庄の文書を拾得し、為里に返却してやったことが動機であると記すような因縁があった可能性が高い。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報