神中糸子(読み)ジンナカ イトコ

20世紀日本人名事典 「神中糸子」の解説

神中 糸子
ジンナカ イトコ

江戸時代末期〜昭和期の洋画家



生年
万延1年10月20日(1860年)

没年
昭和18(1943)年2月4日

出生地
和歌山県海草郡雑賀村(現・和歌山市)

本名
神中 以登

学歴〔年〕
工部美術学校〔明治13年〕中退

主な受賞名〔年〕
内国勧業博覧会褒状「酒樽」(第5回)〔明治36年〕

経歴
父は陸軍士官学校教官、母は紀州藩御用絵師の娘。廃藩後の明治6年父の仕事の関係で和歌山から上京。父の勧めで工部美術学校に一期生として入学。在学中は洋画家のフォンタネージ、サン・ジョバンニにも指導を受ける。13年退学。のち小山正太郎に師事し、不同舎、明治美術会を経て、十一会を結成。20〜27年明治女学校洋画教師、40年日本女子美術学校講師、43年〜大正3年東京女高師学校講師。傍ら、内国勧業博覧会、文展など出品。脂派の色調で風景画、静物画を多く描いた。4年父の死を機に神戸に転居。15年福岡へ移り、昭和11年神戸に帰る。晩年は絵画の代わりに短歌を詠んで日々を過ごした。イコン画家の山下りんとともに工部美術学校を卒業した数少ない女性画家で、女子美術教育に尽力した。作品に「花見之図」「紫式部幼稚之図」「少女之図」「酒樽」「只二輪」「葡萄図」「吉野山風景」「静物」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「神中糸子」の解説

神中糸子 じんなか-いとこ

1860-1943 明治-大正時代の洋画家。
万延元年10月20日生まれ。明治10年工部美術学校初の女子学生となり,フォンタネージに師事。13年中退後小山正太郎にまなび,明治美術会に参加。内国勧業博覧会や文展に出品。明治女学校や日本女子美術学校(現女子美大)などで図画教師をつとめた。晩年は短歌に専念。昭和18年2月4日死去。84歳。紀伊(きい)海部(あま)郡(和歌山県)出身本名は以登。作品に「揖保川風景」「酒樽」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android