日本歴史地名大系 「神代・神代村」の解説
神代・神代村
こうじろ・こうじろむら
〔中世〕
史料上は南北朝期からみえるが、当地名を称した神代氏は「肥前国風土記」彼杵郡条にみえる神代直の系譜を引くともいわれ、正慶二年(一三三三)の鎮西探題への襲撃に際して同氏は少弐氏のもとで参陣したとされる(歴代鎮西要略)。観応三年(一三五二)三月五日の安富泰治軍忠状(深江文書)に「神代」とみえ、足利直冬が派遣した小俣氏連の軍勢が当地を通過している。正平二一年(一三六六)肥後
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報