神代郷(読み)かじろごう

日本歴史地名大系 「神代郷」の解説

神代郷
かじろごう

中世、太田おおた庄の一郷。神代村と中尾なかお村とを併せた地域。嘉禄三年(一二二七)六月、太田庄地頭島津忠久からその子忠義(忠時)に譲られた神代郷は、文永四年(一二六七)一二月、忠義(忠時・道仏)から後家(妻女の西忍)に一期の間譲られ、そのうちの給田屋敷は娘の南女房に譲られた(島津家文書)。道仏は同八年九月、自分の分け与えた所領は子孫なき場合は一期に限り惣領久時(久経)に返すことなどを定めている(同文書)。久経は弘安四年(一二八一)四月の譲状で二男の薬寿やくす(のちの忠長・久長)に神代郷を与えたが、同七年閏四月久経が没したので、幕府は翌八年七月久経の譲状に任せて久長に神代郷とその地頭職とを安堵し、神代郷は久長に伝領された。

神代郷
くましろごう

和名抄」所載の三原郡神稲くましろ郷の郷名を継承したと推定される中世の郷で、三原川の上流、同川支流の諭鶴羽ゆづるは川左岸に比定される。元久二年(一二〇五)四月の淡路国司庁宣(護国寺文書)によれば、一宮(現津名郡一宮町)二宮(大和大国魂神社)の法華・桜両会舞楽料田として先年命じた東神代・八木やぎ両郷の荒野に代えて、榎列えなみ・西神代両郷の荒野一〇町を開発し料田に充てるよう命じられている。

神代郷
こうじろごう

「和名抄」に記載される高来郡四郷の一つ。同書の高山寺本をはじめ諸本ともに「神代」と記され、訓は高山寺本に加无之呂、東急本に加无之呂、元和古活字本には加無之呂と記される。遺称地の神代などからコウシロであろう。「肥前国風土記彼杵郡条によれば、熊襲を討って豊前宇佐宮の行宮にいた景行天皇は、神代直を彼杵そのき速来はやき村に派遣して土蜘蛛を誅伐させているが、この神代直は当郷に本拠を置いていたと想定されている。ただし筑後国御井みい郡の神代郷とする説もある(長崎県史)

神代郷
かみしろごう

「和名抄」諸本とも訓を欠く。郷名は「くましろ」「かうしろ」などとよんだとも考えられる。いずれも神に捧げる料の意味で、神社とかかわりの深い地につけられた郷名であろう。当郷から神代を出していた神社ははっきりしないが、「延喜式」神名帳記載の久米郡倭文しとり神社(現倉吉市)とする説がある(因伯地名考)。郷の比定地は、「大日本地名辞書」は「かみしろ」を「かみやしろ」(上八代)と考え、八代やしろ郷の上、現倉吉市の北谷きただに地区ではないかとしている。

神代郷
かじろごう

「和名抄」所載の郷。同書高山寺本など諸本とも訓を欠くが、備中国哲多てつた郡神代郷に加无之呂の訓があり、カンシロであろう。鎌倉期より江戸時代に至る上代かじろ郷が当郷名を継承するものと考えられ、現香取郡東庄とうのしよう大久保おおくぼ船戸ふなど、現同郡干潟ひかた桜井さくらい溝原みぞわらなどにわたる郷域が想定される。

神代郷
こうじろごう

「和名抄」諸本に「加无之呂」の訓がある。郷域は神代川流域の現阿哲あてつ神郷しんごう下神代しもこうじろ哲西てつせい町上神代を中心とする地域に比定されている。「神鳳鈔(内宮文殿本)によれば建仁二年(一二〇二)伊勢神宮内宮領「神代野部御厨」が成立し、供祭料として上分料鉄二千挺、口入料鉄一千挺を貢納した。

神代郷
かみぐまごう

「和名抄」に「神代」と記され、訓を欠く。「新編常陸国誌」に「按ズルニ、今ノ亀熊村ナリ、加美倶万トハ神稲ナリ、蓋是地ハ神ニ奉ルベキ稲穀ヲ植ユルノ地ニシテ、神穀代ト云フベキヲ、穀ノ字ヲ略シテ、神代ノ二字ヲ用ヒ、訓ヲバ加美倶万ト云ヒシモノナリ(中略)加美久万ノ音、加女具万ニ近シ、故ニ中世ハ亀隈ニ作リ、又亀熊トモナレルナリ」とあり、現真壁郡真壁町亀熊かめくまに比定する。

神代郷
こうじろごう

「和名抄」高山寺本・東急本ともに「神代」と記し訓を欠く。「芸藩通志」は不詳としながらも「川手村八幡宮を甲代八幡宮とよぶ、これ神代の訛にてこのわたり神代の庄にてあるべし」とする。

神代郷
くましろごう

「和名抄」のうち高山寺本・名博本は「神代」、伊勢本・東急本・元和古活字本は「神氏」に作る。高山寺本に「久万之呂」の訓、名博本に「クマシロ」の傍訓がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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